作品

三島由紀夫論 ——— 芥 正彦

芥正彦
(新宿プレイマップ 1970年10月号)


小説の主人公を真似ようと情熱を燃やして天皇伝説騎士道を耽読してドンキホテ不由起で血統インポが突風の歴史車にペニスちょん切レ腐れ入りかなしいそうである


とても花盛りの街路の逢火JAZZ潮サイ爆殺して宮廷料理CaFe物語てめえはバァテン土地の伝説体ビ痢糞タレ流し学習淫穴の酒宴ニ月給で司祭呼ぶメディア受難このブ男の金羊バーBeLLヒキガエルめっ楯もって跳ル水道局のタマゴめっネエ赤坂でまた人わてね大腸の調子は? と女中が話しかけ海DYE文彼は読まれていないのである。だからもっと悪い散文を書いたかも知れないのだフン確かに何回か死んだよ。Deathネこれは絶対美なので非座淫部死出の天皇離性に架かる原理から独立して給仕か乗合バスの運転手淫世界ヲ観照スル植物のレンタルハイウェイつっ走り三日に一度は水をあげてやって下さいネ枯れないようにスルノデスヨ都会の言葉を海路アテハメッ島の言葉ヲ街辺アテハメッそうすれば二つのものの同質性を直エロスで捉えたことになります間エロスにおいて音痴児は卑婦から一歩も散歩シナイ悲シイベエト。ねえだんなっファンタスティクミランダとオ乳気断タレ謀殺は情夫ラザロ死骸ふんっ、セバスチャンてめえの息子じゃねえのかい殺意ハ固まってる宥し乞うたら原爆くれてやる乳房じゃ駄眼生キナガラサテエロスの皮剥ギ全身一傷一面血モピカピカのリノリウムテラスにしてコンクリ物の屠殺開始ザムザ科の幼虫小児マヒモラル望遠鏡ブチ込マレ出眼金毛探しギャング同卓クギナ競争ハチ植えのラッパ水仙このCaFeではテナァヴィッグバァンド一憶の患者代表のどうも愚かな二十数年勿体ぶった態度は当然治るはずのポリオなんてそれだけじゃないぜえ縮小された無礼とよぶあのまじめな愚者に一杯のませてやれおいっバァーテン言葉も身振も意義が失われて理知に歪められておとなしくロマンセでも歌っておれっ島の見世物噺屋台この土地の伝説を小学校で大正天皇の電話無宿帳人別ケロイド暑中見舞忙中閑アリみてえべソカキの地にはいつくばりまだ全部でないのかえ?ケツにミサイルつっ込んで排セツすればそう歯ヲズラしてセツ無い顔するこたア姉さん抜きで屠殺場に就職する気はないのか追放の栄光と不運のくったくない自由テーブル皇ナプキン賞詠このつましく善良な人を最もひどい苦痛を負せて彼にとって友情の行使は皮肉を犠牲に払うことに均しい。湿田の住人に念仏をあげてやれとでも言ってほしいんだろうがダンナあのただ一つのリアルであってしかも伝達できない自己のオ真髄を、難局に怯えた習慣のために犠牲にすることだ。一服の親切を盛って、自己を恢復させてもらうことを習慣におねだりする内服薬かしらそれにしたって習慣が天皇でないように言語は天皇でないこのガマガエル供っ湿地王のために外交官はナタで切っちゃうてんでしょセコハンのバーテンのくせして恰好良さなんか気にすんなよバーテンはマスターでないのと同じようにCaFeじゃ本職は権力とは無縁だ。日本刀の銹をけづりとって創ロにつけると癒るんじゃねえかいその傷は本来的に間違い出来物TeLポンたんたろすのテラスで見世物引出物はどうだいタンパックスで吹出物の美だのメンスだの色失せにけるだからな試してみろいコンクリの上で天皇だのエトスだの文学だのフライパンの上でチーズいるみてに砂漠で果物食う自信があるならさあ正統軍は咽喉が乾くのに水が飲めず泣いたのですそして泥は世界でありますまだはじまったばかりだってのにもう歴史事故起して由無事クロノス三元論だ記憶がある習慣がある時間があるとなアルトウいらただしい調子でリアリティ獲得のピストルで見合結婚島々での花火ブルーストの洗古洗罪をくぐるタイムトンネル出て島国は雪だったト花咲く乙女伊豆でハトがマメでっぽう処女くらって新宿のキャバレェ淫売あつめノーベルの爆弾がネズミ狩に美しき即刻のテーゼ温泉ベーゼ古都オカマックラ先生おめでと今度は悲しき熱帯臨床実験室を視福処刑に引っぱり出して来いっ死の道具箱ひっくり返してアメふり密判刑信託太陽本土復帰はユーラシアのユウジンアラビアのジン美しき日本は地理的名勝ですフリィおまんこ宮廷観光文学自由セックスカルピス安保NHK運動うすめて道路いっぱい水びたし0・7%血は水よりいくらもコクナイ無国者は死刑ョ村八分咲の発狂が手頃の百姓島めえ海国サックはめても雪の金閣で胎児殺しゴム長のMP内閣児淫血大根二本足役刈演取物カタルの洪水汚物只中でキンタマ崇拝憧景敗北告白童貞薬剤師一本足より確信にみちてリアリティの本質を述べることによって豊かになっている。一本調子な神経痛が表面の下で姿を消しみやびなマッサァージなおいっそうきめ細く神経質な構造となって立現われ、装飾音という見なれない、だがこれらの幻虫にはなくてはならない外被に覆われて豊かになり一連の浄化と正確な通過門を通って無事政権越え頂上に登りいたけだかな勝ち誇った最後通告を発して登頂を謙虚な出来事とする指令をメロメロにして古い慣用包のソ撃に出合うごみためを足で踏みならし悪臭の中で美しい偲出演歌実行に取りかかる命あづけます命あらためます一市民これでよかったら命ひきかえですガキの遊び昭和の石油火などはなちても持続を分断されることなく、進んで命よとそしてあの長い間にわたった断絶を強調した出来事伝説テレヴィでセバスチャンと男根抜きで決闘する愛を表象する日々の綴織にあって愛とは下部において生殖。生殖とは上部において愛。ザマァコンプレッサァほとんど結果らしい結果も残ってない魂全体の決算対照表に野辺送り恢復しがたい抹殺との間で矛盾にこらえきれないおもらしの殉教それはいまでは彼の支配力をはかないものにしてしまうので消してしまいたいと思っているものなのだ魅了された神秘の昇天表とにらめっこ発端の嫉妬と興味によって指令された愛殖の不毛と嘲笑である。岸辺や波はもはや存在しないのに加虐的なみだらな姿態や汚された肖像写真などの幻影にひたることを隠しきれない耐えられなさだから夏は死んでいる。彼は歓喜のない曙の連続として自らの生を見る彼の家に閉じ込みの血と肉で記憶の同棲生活の破壊物件を尼の火山のようにみて心はひき裂かれる。精神は湿って腐り情熱は崩壊にくじける。テーブルやカップはともかく棒で打ちすえる海である。こいつがいいのだし問題だ。溺れ死んでからというもの心情に知覚されるものとなったのは時間と空間で、本当はこんなこと笑いごとだってのには罰したいという愚かな欲望のあまりマチネエ革命劇の持別上演を観に街まででかけて行くように水睦両用の恋愛に首をつっ込んで半身不随に羅って断念が男を単純美にしてしまい三船敏郎のスポーツのように武士道を新しく学ばなければならない子供の語り手存在で残忍性がひどく減退していってしまいました夕闇にひとりで散歩するはめになる。贖罪美相手になるものは何も残っていない残っているのは長い長い人生の退屈で期待とは全く逆に現状のすばらしく罪の無さでもはや気の狂った想像力がコンクリ相手に余生のハリガタ遊びをしている。渦去へどんどんのばされる生。だが過去の方はうすっぺらで限度があるので彼が感じるのは一切が失なわれているという最初の貸借対照表で破産した愚者達の法典化した違反の惨な罪の方をうらやむのだ、こいつあ永遠の嫉妬ふんっトイレから出てふと考えてニュースを聞きながら手を打つ、やけに礼義正しい現代の中の未開性だ、還元沿いはテレヴィにポリバケツ天皇制にヤカン、ニューマニズムに原爆伝説FMケッメドニ石炭のエスキス、トロッコ式教育客体街路を非物質的で、精神的に消化できる等価物に還元してしまったのでおいっバーテン、彼には日夜長男が誘拐されることにおびえながら風土的な内容の純粋さを忘却性に逆保証されながら閉じ込められた高揚の小宇宙で青年時の昭和論理を持って社会仮想敵と糞戦して串ずりの高血圧に耐える肉体訓練を行い出すから象徴と実体などのあいだに協同作業が生れる。これが行われると街路では無能にしても活動的な生にも観照的な生にも禁じられている本質的な幻想のリアリティが解放されるのだ。女中は主人思いの島国のヒステリー馬鹿だからなおのこと具合はいい。その女中のほれたのには大した訳があったのではない意思による復活を期したのだ銀行家の資産投資論理でよい血湧き肉踊る天皇の猿股をはいて街路をトレーニングするつもりかァパンツ脱げ血便のワグナぐそ幻想ただれ国土ドライクリィーニング官理抜き自身はさてサーヴィス性の歓狂朝廷オペレッタにひたろうと街路から尻まくって逃げるでもそのまえに濤の手術でもしてけっヤッパ振り回しててめえのケツメド切レ朝に宮廷は原爆をかかえて子宮破裂の輝きですぞ小説の主人公を真似ようと情熱を燃やして天皇伝説騎士道を耽読してドンキホテ不由起で血統インポが突風の歴史車にペニスちょん切レ腐れ入りかなしいそうである。テーブル武士道へヘェと木影からのぞき封印ハガレ銀貨三枚キリンレモンの炭酸ヌケ覚悟して熱狂のうちに死ぬ伝説の綱渡りを大時代小屋ブランコやるから見てあげてやって下さいね。CAFEオペレッタの出し物です。彼が正真正銘の幻聴に襲われているということは、正直言って信じたくないがだからと言ってそうだという証拠はわたしにはないだが実際このこの土地の結婚のしきたりで日本家では奪われた処女をパルチザン抜きで行ったり来たりさらに会話さえかわしている人間達がいるしそれにすてきな赤ん坊たちが、特に最近はたくさんいて、手りゅう弾をケツの穴に仕かけられたまませっせと文筆ノーベル労働してそれもくまなくそれを親達があっちへ動かしこっちへ動かしして、動作不能の習癖に陥いらぬようあるいはその幻影で大事なしりの穴にカビやただれが来ているのも知らずやがてやってくる自力で動き回らなくてはならない日に備えて水便や雨水で祖国は美だと信じるつぶやきの聖歌みそぎしてこいつも習慣で洗い直してあげてるのでそうは信じていても結局のところ彼が正確にどこにいるのかそれとの関係で連中が正確にはどこにいるのか、それを言えと言われたら彼はすこぶる困ってしまうそれは幻影は真暗闇ということもよくあるがのぼってくる足音というのはおりてゆく足音、いや同じ平面をいつまで行き来しているだけの足音にさえ実によく似ているものだもともと声だけで商売をはじめ形を仕入レるまで手間卑間がかかった家だから勝手がちがうのだだが虫の息の中にも三分ぐらいの理があって、彼は自分のいる位置を知らずにしたがってどういう種類の音を貸出し時に予期しているのか知らず、しかもおまけに、ほとんどいつも聾同然ときている幼虫人間の聴覚はそのくらいにしか信じる可能性がないわけだしもしそれがはっきりわかったら彼も店の仕事がいやになるくらいがっかりするとこだが、すなはち彼は実はもう死んでいる実際古いだけの良さでそれでも多かれ少かれ苦労かと聞かれもうじきもろもろのおまえの苦労もすべて終りそうだと言われるとほっとしてだが莫大に全々むだになってしまうだからトイレットペーパーにもならない初版の恥辱本をうらめしげにみて横断歩道橋の上から燃上る街路烽火に血や肉をこがして最後のサアカスを演じてなんとか限定でも大団円で笑っちゅうものにしたいとおおざっぱな常識で順序の不備なところからかすがいを逆に絡げて時期を設定する除虫剤を散布したロマンセに一喜一憂して近頃経営がずさんになってきてしまいました。まるで主人にらみつけられてしまいに目をそらしてあなたにケツから言葉から全部ささげますと言わずにいられなくなるヒキガエルの習性みたいにいつも歳月の田んぼを主人のエピソード好物を探して食事は生ま物で汚れカやハエがぶんぶん飛び回ってむろんあのおんぼろのテーブルでいばっても老顔がゆるんでぶるぶる充血したままふるえてはワグネリぐそなめる恍惚肉にゆうじん抜きでてんのうまくえんえベッドしたいと家族に内緒で恐しい笑顔をつくって店のそろばんをはじきますとにかくこの世を退院する日までかつての放浪時代の虚飾の品々に手を触れてはいけない依然として熱っぽく自分のもの特に白いチョークでもって祭に線をひっぱり長い一日のあとのすてきな夕暮を楽しみましょうと醜くて不具である女中達にも美について熱狂的に教えるのだいえ万事これでめでたいのですお互いがいやになったり若さがすりへったりすることはない吐き気を催したりはしないすみずみまで美醜を罪罰を雅俗を知りつくしたとばかりわたしたちふたりでもはやつかめないものを求めたり第三者とのつきあいのなかでわたしがあなたを腕に抱き青春のあの狂喜と比べていやまだ中年の喜びだがつかりはしまいと慰め合い抱きついたままそれでも帰っていった第三者にどんな悪態をついたあとでも二人だけは礼義正しく抱きあってさめざめ美しくはたから見ると道化だが悲劇として歴史のいけにえとして大義として泣き離れないで捨てないでいえ醜いことはありません息子よ死んではいけませんいえいいのですまぶしいから心は死にますとにかく国を救おうというのですからウェイトレスのような理屈はいらないのでこの空想家の領主は自分が君主でないことに眼覚めることは最近ボーイ達のためにいい甲冑をあてがって店の特長づけを行うパレードだ随分バーテンはマァスターとのホモがバレてしまいそうです教訓カレンダァの脇ついにわれらの季節は来たりぬ力をつくしてこれを用うベし、言語天授定着説法輝く感情を車の中でこの炎天下で光化学スモッグノ恥辱がドウカシマシタカソレガ私ノドウオ見受ケシタトコロデタダノ気休メノタメニデスネデモ本気ダトシタラ責任カドウカハ考エルコトスラ一方的ニ不利ナ処刑法ニ市民ノ椅子ノナイテーブルデ日記ヲ書キツヅケテオイタノガ発見サレテシマッタノデショウカエレベータァト床ツヅキニコノ人達ハ私ヲ追跡シタノデス市民ホールデノ猿達ノ演説ノトキモコノ人達ハ居テ全員デ期待ヲイダイテイテソノコロハマダ私ノ声ハ十分ニ聞エテイタシアル種ノ熱狂ガ迎エテイタノヲ知ッテイル無事デナイニシテモイツカハ解ッテクルダロトイウノガ希望デスガソレガ不可事以外ノナニモノデモナイ被岸破砕ヲネラッテ飛行機ニイチイチ体当リヲ操リ返シテマズ身ノ安全ヲ考慮スベキダツタノデス実際ソノ通リニシテミマシタデハオペラハウスに銃火ヲ放ッテ架空ノ威力ヲ群衆ニ示スノデスワレワレノ付添看護婦ドモカラ食料ヲ奪ワナケレバナラナイ倉庫ハ全部食イ散ラカシ素通シテ行ケ貴様気ヅイテハナラヌッ気ヅイタラ余ノリノリウム部屋へ監禁スル余ノ幼少ノ遊ギ部屋ダ処女地ヨッココハ精神病院サ国土発狂ノポリノグラヒィオペレッタ聞イタカレミュス殺シノロムス兄サン親父ノペニィス食イナガラ母犯シ敷石返済能力無ク疑レテウルセエッ何言ッテヤガルコノ死ニタガリノバーベル焼キノオスヒキガエルメス探シ止メテオスネライ幻影浮上待チノ落シ穴ノ番ッタガマメガボーイ達売ラレソウダコダカイダンナアンタノ発狂死オペラハヨオ下水ノ無イ土地ニ繁殖シテ愛サレッパナシノ有機ゴミタメ物豊ナ海アップアップライフワークじゅうじゅうチヂンデ竹ヤリクルップひしゃげ散リゾコナイノ桜マダヒバリツイテンダネ三菱ノ大砲デ打タレジャアナイ以外ト五反田アポロノ箱庭幻想水汲リ井戸体液ノネバネバデ生命ナガラエソレニシテモ当初ノ目的ハソノママデ一向ニ果サレツツアルヨウニハ見受ケラレマセンヨ人港デハソロソロ噂ガ立チ行方ガ疑レ出シテ来ルデショウニコノ時カラ大村落ノ自信ハナントナク決死ヲ見込ンデモ確呼タルモノデナク敗北ヲ保証スルモノデシカナクナッテキテイマシタ猿ニ生レ新シイ工事ノ始リニ躍動スル路上ノ現代進化世界ニ恍惚トナッテイタ私ノ過去ノ骨傷ニスピロヘータガ食イ込ンデ論文ハムキンフショクニオオワレ余ル無力ニ人生ハ乳飲児ノ糞ニマミレテ天火ニ燃エタ方ガ道徳ニデスカラ許サレテイタト思ウノガ一方的ニ間違ッテイタノデスキミ達ガテレヴィヲ背負ッテ街上ヲツッ走ッテイルフェラチオン時刻コーヒーヲ飲ンデ燃エテイナイ太陽ヲフォークデ刺シテナイフデケヅッテ喰ッテイタノデスガ見ツカッテシマッタノカモ知レマセンネ夕刊ヲ広ゲキミ等ハトモカクキミ等ノ上段ハキミ等ノ思ッテイルヨリ有能ナノダソノ点ハダ非情ナニンゲン類ヲ呼ビサマス心ニナリサエスレバ勝負ハツクハズデスカライツカソコハ素晴シイナガメダガドコガ停滞シテルノカソコハタイシテ居心地ガ良クナイ彼等ガ出カケタコトヲソウウラヤムニハアタラヌ又狂シミト激発苦ノ村気違イハソコデノマナアデスカラナソレヨナ誰ガオマエヲ殺ソウトシテルカヲ考エテミタマエ問題ハネ暴君ナンダヨ“A”haveSAID狩獲等ホドノ婚礼理論術ハナイダカラ椅子ニ身ヲ委ネナイコトホド恐シイコトハナイ家デソンナコトヲ急ニ言ワレテモ困ルノハ私デス当リ前デキミノ血統ハ焼カレ地ニ死ンデカラノコトダヨッキミノオペラニハッキリ言ッテ今夜ノ食事会デノマナアガ優レナカッタリソウシテ一抹ノウンコヲ鉄板ニタレテイタヨキミハナソレニナオモ肛門ヨリノガスヲ信ジテイタナンテ便桶デ私ハ日常ヲ語ルコトハ出来ヌ私ノ血統ガ生レルト言ウノニ死物ノ料理ヲ焼クコトヲ教エテオカナカッタト言ウノデスカラ出生ヲ秘密ニスル努力ガ無駄ニナッテシマッタノハ残念デスネ恍惚トシタ権力ヲマエニシテオモラシヲシタカラデショウテーブルノ規則ガ破ラレテシマイマシタネ自刃自倒自滅自狂ノマナアハテーブルデハ取ラナイノデシタネオッシャライデヨロシイココカラハ見透シダ床トテーブルニ余ノ歌ガ走破行軍ノパアテイニ聞エルデアロウココへ来ルマデモソコラ中到ル処工事中デアッタロウソノセイデス二次三次行軍ハ女王ヲ産業ヲ革命スル歌ガ強力ナ気付ケデ行レタコトダカラ言イ訳スルニ及バヌ待合イノ物語ハ余ノ前デ行ナッテハナラヌガス椅子ヤメディアテーブルガ何ンニナルノデス核崩壊デノ余ノ敷石ノ上デダンスヲシテイタノデハナイノデスカ勇気アル作法ヲ学バネバイケナイ余ノ歌ガソレヲ教エルデション幾多ノ勝利行軍デハ王ノ午後ニ走破街路バラード二妻体ガ確立シテ裂骨ノソプラアノデ歌イ出シマスカラネ充実シタ内容ガキミ等ヲ包ムデショウ臭ガ出来ヌカモ知レマセンヨスバラシク完全ナ風紀ニ事肉性ガ断罪サレテ街路ニハソノ勝利ガ告ゲラレ類供イイ気心ノママニ我達ノ会事ハ会話ヲ持チ事物ノフリィセックスノ只中ニテーブルガ捉エラレ私達ハソレ以上ノセックスヲ行イ合エルノデス眼前ノセックスヲ制圧シテ余ノ降下ヲ讃エル物々ノ事件ハ我達ノ会話ヲエネルギィニ満チタ終リエ又宴ニシテクレヨウゾ死者共ノ笑イ声ガヒビクノデスガ諸君ガソレニ誘惑サレヌコトヲ祈ッテオロウ行軍者ニ期待ヲムダニセヌコトダテーブルノ勇者トシテ名誉ヲ守ルコトハ大事ダト言ワネバナルマイ道具箱ヲ掻キ回シテペンチニ歴史ノ流レヲ視テ正義ノ勝利ヲ信ジヨウデハナイカト借リテ来タ鋸切デ首ヲ切ッテシマエトハ可酷ナ血飲児ダッソレデコソ余ノ息子ニフサワシイ街路遊園ノ見世界物ノニ出合ッテ団長ハオマエヲヒドクウラヤンダソウジャナイカポスタァハ一枚デ十分デス時ハ近ヅイテ余ニ化物ノ敗走ヲ告ゲル刻ノ戸ガオマエ達ヲ駆リタテルキャビィンデノ地雷モ忠実ナ下僕ダ演説ノ出所ヲ猿供ガ知ルコロニハ爆破裂焼シテオル奴等ハ手足ヲ奪レ己ノ肉へ逃ゲ帰ッテ行クBATTLE・SHIPヨリ射撃開始艦砲ヨリ街路シャ断ACTOVERタケルオペラニテ走ルSHARE・BEDバーテン天皇ガマガエル興業フフッ父ちゃんっエピュキュリアン囲ミ火弥呼メディア阿国ノ子殺シ類縁劇ノ逃シイ陳述山和遠征行軍バルバロイ情念へっ夕立ち女中が浮気してるぜ父ちゃん虫ケラ裁判同様引キ連レ司祭ニ芝居打タレインディアンデモコオロギィユフラシアノ雨ノ物恋悲歌舞抹石ニ刻ムみっともないCAPTAIN命令ニ再危飽腹ノ淫母供ノ屋上ニ洗濯ヒモカラゲ肉片血縁ノ井戸端会議ニいさり火確保抜キノ生活線首串ニ皮ヒモユダ回転、地球一ケ所ニテ十分土プラズマノ太陽ナレバ工事中死人供ノヒューマンフォーゲル一行パァティ港着今までの準備水泡肺血光ふふっ出発セヨ1DKヨリ予定出テ行けッ死体ハ工事ノ主任ガソチラヘ引キ取リニマイリ何分ニモ人員不足ノ折リ骨収容原料加工製品販路拡張ヲメザシ母ちゃんをくっちゃったよ出発ハ遠カラズはいっそういうことならむこうさまもなっとくいたしますでしょう、何しろのっけからああでは話のしようがありませんでしたとふふっ快晴なら権利強奪ノ証と食料調達ニ関スル件ハ三番マスト附近ヨリ布告サレ走破行軍ノ歌デサイレンノ子宮ニ胎児ノ花咲キマス街路テーブルニヒキガエル腐肉体一匹二匹三匹四匹……オマエ達朝ガ来ルマデニスベテタイラゲヨ、残ル時ハスベテ焼キ尽セ渦越シノ掟ハ敷石ニ刻マレリエロスノ屠設ロゴスノ律法エトスノ遊戯フンソレガドウシタ余ニ解説ハ不用ダ余ハ王ナノダカラ余ノ接岸ノ朝ニナ街路烽火燃エヤガル無数ノ文学ヲ火慎マリテノチ灰ジンヨリ余ノ肉片ガ刻石ニ余ノ骨ガ光ニテ余ノ血ヲ。キャビンヨリ水平線白鮮ノ血シブキ類血航海ニ余ノ右足接地はははっ花盛リ街路ノ仮面ハギ化物宮庭ヨリ追ワル朝COFFバーテン告白ノ死マアスタアノ歌ニテ一済壊姓ウェイトレスははははっ余ノ朝食ノテラス。妻ノアリアハ余ヲ賛エル余ノテーブル権力ノ輝きドアエレヴェータストリィートエレヴェータドア溶解シ群集へノ道へ余ノ椅子余ノ窓余ノヴェランダ眼ヲツケタ花々飼イ殺シシモンへ

 

<芥正彦氏に於けるそよそよ族的戦術について>

別役 実


私は、砂漠に棲息するといわれている失語症民族であるそよそよ族(傍点:そよそよ族)について、いささか関心を持ち、いささか研究を成し、いささかの成果を得たものであり、なかんずくその風変りな言語体系については、その道の専門家の特別に有能なるものが十年間それに専心して到達するであろう領域と同等もしくはそれ以上の領域に達しているのではあるまいかと、ひそかに自負するものなのである。勿論私の自負は文字通り格別に心そやかなものであった筈なのであるが、ひそやかなるものもひそやかなルートを通じて伝達されるものらしく、最近になってしばしば、そよそよ族(傍点:そよそよ族)なるものについてのウンチクを傾ける機会が多くなったのである。一つには、我々の文明を構成する言語体系が漸く錯綜を極め、かって高度な言語体系を有する文明がそよそよ族(傍点:そよそよ族)たる失語症民族の侵入に遇って滅び去った如く、次第に吃音者によるもしくは失語症思者による復讐を受け始めたせいもあり、文明はその叛乱し暴発する文体のための調教師を必要とし始めたのであるかもしれない。


文明というものは(勿論文明といったって新宿文明もあれば、日本文明も東洋文明も二十世紀文明もあるのだが)あらゆる規模に於て夫々特有の言語体系を有するのであり、その言語体系に於て一つの字宙を形成しているのであるから、我々の不安定な無気味な天体を手なずけるために天文学者が必要である様に、あらゆる文明に於て言語体系のための言語学者が必要なのである。ところで世の言語学者という奴はおおむねあまりにも「学者」であり、いわゆる「政治的判断」ということをしない。つまり言語体系の方は発育し過ぎるほど発育してしまっていて、例えば無精ヒゲをはやして女の子をひっかける相談をしているというのに、学者達は相変らず、乳の飲ませ方とかオムツの当て方なんぞを研究しているという始末なである。


ライオンに喰いつかれそうになった人間が先ず最初にしなければならない事は、そのライオンの習性を研究する事ではなくて、そいつをブン殴るか、つねるか、くすぐるかして、喰いつかれない様にする事である。今や学者なんぞの出る幕じゃない。すこし荒っぽいかもしれないが、ムチ一本を手にしてライオンに立ちむかう調教師の方法が何としても必要なのである。勿論気をつけなければいけない事は、調教師というものは往々その様にして敵であるライオンを「愛しちゃう」のであり、ライオンも当然そこにつけ込んでくるから、「ミイラ取りがミイラ」の可能性は大いにある。しかしまあそんな事はどうでもいい。それこそが若しかしたら下世話にいう「進歩」かもしれないんだから……


ところで如何に野蛮な調教師だって、相手が果してライオンか象か、ぐらいの判断はしとかなくてはいけない。フランス語かと思って翻訳し始めたら、途中でそれが英語である事に気付いたという翻訳者の悲劇を、私は良く知っている。ライオンはそのワキの下をくすぐれば笑うのであり、象は笑わないのであって、良い調教師というものは決して象のワキの下をくすぐる様なみっともない真似はしないのである。


さて、これだけ下らない事をクダクダと述ベたてたのは他でもない、私が有能な調教師として、芥正彦なる人物のものした凶暴な文体の潜む檻の中へ入り込んでゆくための、決意を固めたのである。しかし最初に断わっておくが、この文章に対処するに読者にとっての最も賢明なやり方は「一切読まない事」である。読んで損する事はあっても得をする事はよもやあるまいだろうし、「得をしよう」として読んだ人間が「損をした」と感ずると、八ツ当りもはなはだしいと思うのだが、その責任を筆者におっかぶせようとする。それでは、筆者である芥正彦氏としても極めて不本意であろうと思われる。氏は少くとも、「読ませるために書いた」のではなく、ただ「書いた」のであろうから……。しかしそれでも「どうしても」読んでみたいと思う読者も居るであろうから、その場合は「読む」のではなく「見る」事をおすすめする。


世の学者共は、それが商売なんだからしょうがないのかもしれないけれど、文字さえ並んでいればどうしても「読んで」みなければ気がすまないというところがある。そして「何が書いてあるんだろう」とか「何をいいたいんだろう」とか「何故書いたんだろう」という思考の径路を通じて文脉の中にまぎれ込み、そこからはじきとばされると「文法的に誤っている」とか「余りにも感覚的すぎるとかいって居ずまいを正し、あとで用心深く「気持はわからないでもないが……。」とつけ加えてホッとしたりする。しかし一般の読者が常に学者ほど理性的であるとは限らないから、たちまち胸倉をつかまえられて引きずり込まれ、有金を全てふんだくられて裏口の階段からポンと下のドブ川に叩きこまれる場合がないとはいえない。ともかくも「読む」のをやめて「見ている」ぶんには、そうした事がないのである。目から一寸離して、大ザッパな視角の内にとらえて「おー、書いてる、書いてる」とやる例の手である。


筆者に敬意を払うという事が、必ず「読む」事につながるとは限らない。「読まれたくない」場合だってあるのである。特にその筆者が、「感動的な事を書こう」としている場合でなく、「書く事」に感動しようとしている場合はそうである。人間が文字を知り、勿論その以前に言語を保有し、何事かのために「書く」という事は、その「書かれている内容」よりもはるかに感動的な事柄に違いないからである。芥正彦は「書いた!!」のである。「書いている」事の感動が、これほど生で実感される文章はあまりない。それが「見え」ればいい。読者にとっても筆者にとっても、それでここにおける取引きは完了して然るべきなのである。


「誰が風を見たでしょう。誰も風を見やしない。だけど木ノ葉をふるわせて、風は通り過ぎてゆく」という、一見理屈っぽい歌があって、歌うと間のびがするから私は余り好きではないのだが、ものの本によると、この風(傍点:風)と木の葉(傍点:木の葉)の関係が、事象と言語の相関関係を「美しく」(学者がいうんだよ)構造化しているんだそうである。つまり簡単にいえば「風が吹けば木ノ葉がふるえる」というわけで、その伝でいけば別に「桶屋がもうかる」のでもかまわないのではないかと思うのだが、ともかく「風」が「木の葉」を決定するのである。ところで人間にはあいにくな事にあり余るほど智恵があるから、これを逆手にとる事をし始める。つまり、木ノ葉をふるわせる事によって風をデッチあげようというわけである。「木の葉がサラサラとそよぎました」ってえと「ははん、風が次いてるな」と気付かせる事が出来るのだから、この際「風」なんか特に必要ではない。当然、言葉は逆流をし始めて、文体は全て無限の迷路の中へ迷い込む事になる。


そよそよ族(傍点:そよそよ族)たる吃音者や失語症患者が頭をもたげてくるのは、文明がこの時期へさしかかってきた頃である。勿論彼等は始めから吃音者であったり失語症患者であったりするのではない。木ノ葉のざわめきによって風をデッチあげようとする時代にあって、みずからを風の中に植え込まれ、その風によって木ノ葉を決定しようとするものはたいてい、吃音者か失語症患者に見えてくるのである。木の葉はサラサラとそよぐかどうかは誰にもわからない。それは風となって吹いてみなければならないのである。

ジャズが吃音音楽である如く、芥氏もそよそよ族(傍点:そよそよ族)的兆候の著しい失語症患者である。その文字面の上を疾風の様に吹き抜けてゆく、或る意志を見放く事が出来るとすれば、そのために犠牲にして捨て去らなければならない数多くの言葉にわれわれはつまずく筈である。誤解を恐れずにいえば、ここに並べてあるものはその様にして氏の捨て去った言葉の死骸に過ぎない。そんなものを一生懸命「読んで」もしょうがないのである。


ところでこの文章は、我等が文明にとっては、はなはだ危険な文章である。勿論、誰かがこれを読んですぐ何処かのショーウインドウに石をぶつけたくなるからとか、女の子の尻に触りたくなるかとかいうのではない。この文章のそもそもの成り立ちがそうである様に、そこに芥正彦なる人物が居て、「書く」という行為を、この様なものだと理解している事実こそ、文明にとって危険なのである。「ペンはサーベルよりも強し」という言葉を人はしばしば誤まって理解している。サーベルを振りかざして立ち向ってくる相手に対しておしゃべりだけで対抗できる方法なんぞある筈がない。この本来の意味は、「言葉による言葉への闘いは、サーベルによるサーベルへの闘いよりも、総合的である」という事である。サーベルとサーベルの闘いは、同一地平における同一ルールによる、一方的な結末へ向って直進する行ないであるが、言葉による言葉への闘いは、若しそれが最も本質的に行なわれるとすれば、著しく様相を異にする筈だからである。


先ずもって一つの言語体系は、もう一つの言語体系とはその拠って立つ文明を異にし、つまり同一地平には存在しない。夫々の言語におけるルールはその夫々の体系毎に閉鎖されているのだから、夫々に共通のルールなどない。勝負のきめ手は何だろうか?手をチョン切ってみても、足をチョン切ってみても、頭をチョン切ってみても、致命傷には決してならない。その拠って立つ文明の構造そのものにクサビをブチ込み、それを根こそぎくつがえさなければならない。ところで、ここで極く原則的な事を話すのだが、例えば我々がデッカイ石を文字通りテコで「くつがえす」場合、「支点」「力点」「作用点」という古典的なダイナミズムを先ず考える。しかし一つの言語体系を力点におき、もう一つの言語体系を作用点においた場合、われわれには支点と定めるべきものは何もない。いきおい、この勝負は闇試合になりかねないのである。芥氏の闘いの様相もいってみればこの様なものである。


芥氏の文章を「見」ながら、我々はある猛烈に「突っ走ろうとするもの」を嗅ぎとる。「力」とは往々にして「速度」である。氏は、力点と作用点をそれぞれ対角において猛烈に回転させながら、そこに幻影の支点を現出させようせしているのである。また我々は氏の文章を「見」ながら、そこに突然「我々をつまづかせようとするもの」に気付く。氏はそこで一瞬立止り、現出され得たかに見える「支点」の確認をしているのである。当然そこで速度は失われ、同時に支点も失われる。氏はそこで再び「走り出す」のである。


こうした氏の悪戦苦闘こそ、一つの言語体系と、その拠って立つ基盤である文明を根深く嫌悪するものの、そよそよ族的略戦術を闘う典型である。


「敵を知り己れを知れば百戦危うからず」という時代は終った。敵を知り同時に己れを知り、それぞれの拠って立つ位相を見定めその交叉状況を確認し、更に相互がダイナミックであるための「支点」を見定める必要がある。現在では、一つの闘いは「勝つか負けるか」が大切なのではなく、「果して本当に闘っているかどうか」が大切なのである。「書き」ながら芥氏の念頭にあったのも、その事であったに違いない。「書きあげた時」私もそうであるが、わが閉鎖的文明の内にある人間にとっては、「何を書こうとし、果してそれが書けたか書けなかったか」という二段階的な、つまり前提「何を書こうとし」という構造を永久に突破しない所での自己検証しかしない。しかしこの場合「要するに俺は書いたのか書かなかったのか」という解放的な場における厳粛な問いをこそ、氏は求めているのであり、われわれが見定めなければならないのも、その点である。

そして少くとも私にはいえるだろう。「君は書いた。そしてかかる文明のもとで《書く》という行ないが充分に厳粛な行為である事を示したのだ」と……。


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