作品

鼎談  芥正彦+土方巽+山口昌男 竹永茂生

1970 or 1971 Spring
at Megro
some apartment top floor


『地下演劇No.4』編集人であった小林康夫氏より、1974年11月に譲り受けた記録を、橋爪大三郎が浄書するものである。

原稿は、約100枚にのぼる座談記録で、録音機より鉛筆で書き起こしたるもの。事情により、当初から一部(約十数枚)散逸している(土方巽が原稿をひきちぎった所為、と伝えられる)。また、ボールペン等により、芥正彦、その他誰かの筆跡により、削除、加筆、が加えられている。
浄書の方針としては、「原版」400字詰 一枚を、そのままこの片頁にあてはめ、鉛筆記録を尊重して鼎談を再現することをめざした。細かい点については、その都度註記してある。

芥 僕、わからないですよ。それは。

土方 わからない、ほう?あなたは、さして怨恨もなにもないの?

芥 なにもないです。

土方 ふうん。ただもう、そこに頭があれば、ポーンと古代人みたいに割っちゃうわけ?

芥 ただ僕は……

土方 スイカを割るように。殺人だとか……

芥 ただ僕は誰にでも、誰からも殺されないだろう、どんなものからも殺されないだろう、あろうという莫大な自信のみで。

土方 それはわかる。それは、わかる。

芥 誰をも殺しはしない。何ものをも殺しはしない。だが──。僕は、おそらく六十まで生きても精神病院に行くような羽目に陥らんだろうし、こうやって僕のこと言っても何ですが、その辺は……。

土方 それはいいです。それはあなたのいいところだなあ。いいところってやっぱり、いい……。(編注:原稿無し)れども、溢れるというのはどういうことを言うものかね。

芥 溢れるですか?

土方 うん。だからテーブルにバァーッと溢れたと言ったでしょ?

芥 結局、形態がせせり出てきたっていうことです。

土方 え?

芥 形態がせせり出るっていうことです。

土方 形態?

芥 たとえば、これを何と呼んでいいかわからないですよ僕ね、だから一応──。

土方 それは形態があるじゃないか。

芥 これらが全く何の、たとえば、こういうところも全く連絡がありませんし、これと、この布も連絡ありません。この下のアルミも連絡がない。風景の、外の連絡がない。これらがただ置かれているっていう状態から、自らがいるっていう状態に達したとき、“空間が出た”というわけです。僕の場合。たとえばだから……。

土方 意志じゃないか。

芥 えっ、ものものの意志です。ものものの意志が全うしたとき……。

土方 そういうことは

芥 そうです。僕はそれを一応“劇場”と呼ぶわけです。

土方 芝居はあきたよ。

芥 そうです

土方 ね! もうあきたよ。

芥 ええ。

土方 そういうことは、やっぱり節度をもっているわけでしょ?

芥 あります。たとえばあの……。

土方 話、始まらないものねえ。

芥 ええ。あのう、ムード音楽がかかって御輿の上で、こう、きますね、で、立ち上がります。あの辺の時間、ものものが輝きもって迫ってくるわけですよね。

土方 ふんふん。

芥 そうすると僕は動けない。僕は鎮圧されてしまう。ステージについたとき若干、パァーッと風が吹き込んできたんで、僕はあわてて外へ出たわけですよ。その風に乗ってあの中に。それでね、ロビーに出たら今度は僕の方が踊らされちゃうわけですよね、その時初めて。生まれて初めて体を何の意味もなく使ったということが、一種の熱病にかかったといえばかかったのかもしれませんけれども。ただ、その病(ルビ:やまい)としてでなく、一つの、そのものものが自らの意志を保った。ある意味では言語の“光”かもしれませんけれども、それに出喰わしたとき、こちらがある意味で一つの言語にされてしまった。そういうところの言語というのは、己れの肉体が原形質になったということだったんですけれども。

土方 あの僕、己れの体験で言えばね、ふっと、ふっと見るのは非常に意識的な動作でしょ?ということは、踊りはない。

芥 ないですよね。

土方 それから、このことに関連してね、山口さんの仰言っていた言葉だと思うけれどもね──その、見られたいというね、こと。

芥 見られたい。

土方 見られたいということ。

芥 必ずしも人からではなくっていう意味ですね。たとえば人間が対象でなく……この部屋から……。

土方 人間がね、人間であったためしがないという状況でね。

芥 あっ、それはいいですね。特に日本はそうですね。

土方 そういう場合を設定してね、私は、だって、あの山崎さんと話した段階では、その件でしたよ。

芥 その辺、ちょっとお聞きしたいですね。

土方 人間だったけれどもね、そこら辺ね。ちょっと聞きたい。

芥 そこが、カフカのザムザなんていうのが、その辺なんですけれども。

土方 カフカなんてあるはずないですね。音楽のどこを捜してもないですね。むしろ、あの人がベッドから肢(ルビ:あし)、正(ルビ:まさ)しく最初の一歩の歩行をね、ベッドからポイッと肢をそのまま一応ね、爪先を正してから、ワン・ステップに……

芥 必ずしも爪先で立ったかどうかわかりませんけれどもね、床のことですから

土方 足を運ぶようにね。

芥 この辺で立ってたかもわかりませんしね。(プラスタイルを足で叩く)

土方 もちろんそれは、そうです。ただその、そういうことはね、やっぱり、吉岡実なんかそうだね。やはり何か時代ってあるんだろうなあ。戦後の音楽とか、まあ、そういうこともあるんだろうけれども、私はないかね。まあ、話やめてさ、その見られたいというようにね、ことについて(編注:ママ)山崎さんと話してみましたよ。

芥 ああ、そうですか。

土方 私は、あそこにちょっとひっかかったんですね。子供っていうのは見られたい人ですね。

芥 それはあります。

土方 ありますよ。モヘイキク(編注:ママ)っていうんですがね。たくーさんしょっちゃうんですよ、世界を全部背負っちゃうわけ。「重いぞ、重いぞ」って言われるんですよ、大人たちに。つぶれるぞ、つぶれるぞと、あんまり期待を一身に担ってさ

芥 僕は全然言われ──……。

土方 まあ、まあさ、それでもってだね、際限なくまわりのものを背負っちゃうわけですよ。

芥 きれいですね、担う

土方 きれい、きれい。

芥 で、きれい……

土方 あのう、葛藤とかさ、お前、どこだ!九州!なんて言ってね。ときどきその名前を呼ばないで地名で呼ぶでしょう、ああいう(編注:原稿無し)

芥 それは、そうですね。それはレヴィ=ストロースなんか、やっていますね。“悲しき熱帯”で、たとえば探検隊で行きますよね、白い帽子を被って、一応文明の恰好ですよね。それが部落に入っちゃうと、もう部落の均整が崩れちゃうわけですよ。そうすると異物を迎え入れた部落ということしか調べられないっていうことなんですよね。そうすると人類学の限界っていうのはその辺にあるんじゃないか。

山口 それはもう全く全然変わらないで入り込むということは不可能。変えないでね。であると思うけれども、レヴィ=ストロースがあれを言う背景は、アメリカの人類学者が、非常にこう人類学のコンテクストを変えてしまったということに対する反撥みたいなものがあるわけです。

芥 ふんふん。

山口 僕の体験から言ったってそうですね。私は大体、この調査しているとき絶対に金をやらんという主義だった。調査しているとき相手にね。で、結局、一緒に遊ぶとか、喧嘩するとか、一緒に酒を飲むとか、私はあまりそんなに飲める方じゃない。すぐ赤くなるから。そういうことで、結局、共に生きている部分を少しづつふやしていくというのは、まあ、だから、その私の調査の楽しみでもあるし、だから、それが論文にならなかったって、どうっていうこともないというふうな……。

芥 そうすると、山口さんも眼鏡をはずして現地人と同じ恰好をして乗り込むわけですが。

山口 いや、ですから、その限界を知っているから、それをやるわけですね。できるところ無理してやらないという。先に行かなくちゃならないですもの。とにかく血が問題になっていく。

芥 アラビアのロレンスがやりますね。アイツの場合、それですよね、のっけから。何しろ現地人の恰好して、全く……

山口 滑稽ですよ。

芥 でも一応……。滑稽ではない。断じて。

山口 たとえばね、この足の太い、短い人間が、さあ、こいと、要するに体だけ裸になって、眼鏡とったからって何も変わらない。かえってもっと露骨に入っていくだけだという。

芥 でも、そういう、あの結局、まなざし、結局、まなざしになると思うんですけれども。たとえば、アントニオーニの“情事”という映画がありましたよね。女が忽然といなくなる、とにかくいなくなる。全く作者の一方的な都合でいなくなるわけですけれども、日本の秀優なんていうバカな評論家が、人間が一匹いなくなる。ゆゆしき問題なのに、それに対してちっとも触れていないっていうのは。

土方 あなたが“女”って言っているけれどもさ、“女”っていうのは、オバアサンから赤ん坊までなの?

芥 一人の若い女性ですから。一人の人間がいなくなるわけです。“女”がです。肉眼が(編注:ママ)

土方 ふんふんふん。ちょっとひっかかる。僕の姉はね、不意にうちの中からいなくなったんですよ。

芥 いなくなるはずは、ないわけですよ。どっかにいるわけですからね。

土方 そうじゃない。

芥 そこへ……

土方 日本の姉さんっていうのは、不意に家の中からいなくなるんですよ。お嫁さんに行っちゃうからね。だからね、それと、アントニオーニの女がああいう風に砂漠に消えたという、ダーッ!としたね

芥 いや砂漠じゃないわけですよ。非人称

土方 何だ、それは。やっぱりちゃんと、けじめをつけて話してくれよ。

芥 ええ、ですから、どうやってその部落にもぐり込むかということですよ。だから、いくら変装しようが、変装したってだめですからね。同形ですから。結局は、さっき山口さんが仰いましたけど。そうすると、女が忽然といなくなる、なぜ消したか、結局、カメラをどこに据えるかという問題があったわけです。そこでアントニオーニが女を消して、女が透明になるわけです。そこへ見えないカメラを据えたわけです。アントニオーニが。だから岩肌をなめるように捜索するし、結局は、そうだったですよね。初めてまなざしを得たわけですけれども。

土方 アントニオーニのおなごというのは、オレはあまりいいとは思えないね。として何だかさ(編注:ママ)

芥 アントニオーニは全然、人間を写しませんでしょう、モノ(傍点:モノ)です。

土方 でもさ、人間写さないじゃなくて、おなごの選び方だと思う。

芥 モノ(傍点:モノ)の家来として人間がいるということだったんです。あの映画は。

土方 いまの、何だか、変なの。すごいのやるじゃないの。いまの。

芥 砂丘ですか。

土方 いや、そうじゃないよ、何とか……

芥 ブロウ・アップ。欲望。第五砂漠・テオレマ。

竹永 テラヤマですか。

土方 テオレマか。

芥 あれはペゾリーニですけれどもね。

土方 あっちの方が、やっぱり、偉いよ。

芥 あれはロマンですよ。テオレマ。

土方 ロマンでも……ロマンがなければだめだよ、君。あんた、ロマンがなければ。

芥 ロマンっていうのはとても……。

土方 ロマン談義になるけれどもね。やっぱりね……。

芥 歴史もロマンですけれど。

土方 やっぱり、あんた、いまの一番ね!ひどいこと言いそうだなあ。帰ろうかなあ。

芥 いやいや気にしないで、今日は。

竹永 山口さん、あれですか、たとえば……

土方 やっぱりね、僕はですね、それはもう、知的ハレンチというべきだな。

芥 僕のことですか、ひょっとして。

土方 やっぱり肉体的ハレンチでいかなきゃね。たとえばだよ、いまの流行りの構造主義っていうのがあるだろう。

芥 まあそれは、アフリカっていうのは、ですよ、(編注:この発言削除あり)

土方 何か、わからないけれどもさ、何か言語学とか、何だかわからないけれどね、ただただ、ガタガタしゃべっただろう、それがね、何かね、体のことでしょう。体のことなんです。その内蔵を持ってきてさ、こっちの■(■:解読不可能)いるじゃないの。それは信じるじゃないの。そんなの、自分の内蔵どこにありますかと、その自分の内蔵……

芥 このビールビン出せばいいわけでしょう

土方 そんなもの買わされて、これは情けない話だよ。蘭学事始みたいいさ。袴つけて、最初のバッとこうやるような、こんなばかくさいことを、ばかくさいこと、やっぱり少しづつ加味しないとね、やっぱり、これでしょう……

芥 ああ、ああ……

土方 これは、オレの好みだよ。好みで別に通すっていうんじゃないよ。ただ好みも入れてくれるというわけだよ。

芥 ヘイ。

竹永 この前、うちで“力石徹の葬儀”っていう、あの少年マガジンの主人公の、副主人公の死んだのを、葬式をやったんですけれども、まあ、それが講談社のような……

土方 葬式、好きだあ(笑い)。
(※1,2へ続く)

(※1)

山口 葬式って、その、二時間位で終わるんでしょう

竹永 あの、二時から始まって五時で、三時間ですけれどもね、ちゃんと焼香をやってね。

山口 僕の今度行ったところですけれどねえ(編注:ママ)
(※3へ)

(※2)

土方 非常に私は見たいんだけれども、私は結婚式は一度やってみたいと思います、何度もやってみたいと思わないけれども。

芥 僕もまだ一回もやってないから
(※3へ)


(※3)

山口 (アフリカで)葬式を一週間続けてやったんですね。毎日。あの、朝から晩で。夜の、朝の二時頃まで、こう、踊りまくって泣くんですよ。それを一週間やるんですね

土方 中国で、ですか

山口 いや、アフリカの

芥 どの

山口 エチオピアの南部で。

芥 エチオピアの南部

山口 ちょうど、その何人か死んだところへ、私は入っていったわけですけれども、その私がエチオピアに行く前にオヤジが死んで、二、三日葬式の準備とか何かで終わっちゃうわけですよね。そうすると、エチオピアの南に行って葬式に一週間付き合って、そこに坐っているわけですけれどもね。見ていると、なるほどこれはモガイ(編注:ママ)とかいろいろ、そういった葬式っていうものなんだなあと思った一つの理由は、結局、泣いて踊るわけですね。で、踊って今度は何人かの特定の女がいて、ときどき、こう、代わる代わる顔をひっかくんです。そうしたら、ガーンとこう、掻き傷ができて、血が流れてくる。それから今度は、■(■:解読不可能)のその女性は、大体、いわばわれわれの基準から言っても、身振り、ポーズがしとやかなんですね。それが、その突如として逆立ちをはじめたり、トンボ返りをはじめたりするんですね。なるほど、これもやっぱり葬式なんだなあと、それで、葬式というのは初めて葬式という感じのね、現場に居合わせたような、そういうふうな気持ちになったことありますけれどもね。

土方 いや、アフリカっていうのは相当進んでいますね、文化がね。

芥 そうですね非文明の架空さが。

土方 顔を引っ掻くっていうのは相当進んだ人間のやる仕事ですよ。だって外国なんかで、フランスあたりでも相当爪が長くなって引っ掻くでしょう。東北はね、やはりあの、“まさかり”ですよね。要するにね、吹くんですね。石油みたいい、ぼっと。

芥 何を吹く……?

土方 血がさ、頭からドッと吹くんですよ。だから、カチッカチッと、こういうようなね、非常にあの、何だっけ

竹永 まあ、洗練された……

土方 パリのエロチカ、ああいう非常に何か、やっぱり■(■:解読不可能)というものだろうなあ。

芥 洗練されていますね。骨がないが。

土方 だからね、むしるとかね、掻きむしるとかね、何かね、ふたつ入るんだね。引っ掻くっていうのは非常にものすごく、僕は東京に来てですね、引っ掻かれたためしないけれども。そういう何か、一つのあれだな、言葉のことは僕はわからないけれども。私は素人だからね、私は。素人だから、わからないけれども。芥さんの、血がないっていうのを、もう少し説明してくんないかな

芥 非常に由々しき問題なんですけれども

土方 ガラスで、できているんじゃない。ここら辺

芥 結局、こういう部屋を見ても、外を見ても、ありとある形が、全部一応人間の決めた形だっていうことはわかるわけですよ。ところが、形のほうは、決められたものもののほうは、そんなこと全く頓着ない。

土方 決められた形をさ、決められたところの戻してやったらどうなの。

芥 だから結局、街々が人間に対して反乱を起こす。その辺を、これからやっていくつもりなんですけれども。猛烈な吹奏楽が

土方 外側に拡がるわけなんだな。

芥 そうです。余が祈っている間に街々が蜂起したのかというところから動きだすわけです。事物が蜂起するわけです。肉体が立ちつくし

土方 なぜ動くの? 

芥 えっ

土方 あなた、なぜ動くの

芥 結局、これは、まあ一応誰かが、人間が決めたんでしょうけれども、これは全く人間の“に”の字もない。ただ己れの血がべったりついているだけで、だから、お前の内蔵どこだって言われたら、僕はテーブルをバーンと叩くだけで一言も言いませんでしょうし、お前の眼はどこだって言われたらグッとのり出しもうあとはやるだけで済む。

土方 叩かないでしょう。あんたは。絶えずあなたにお前の眼って聞いている自分が。

芥 ただ、自分の血がなんでもかんでも、べったりくっついてしまってですね、はて?これが自分の肉体かと思ったら、こんなちっぽけなものなんか、何も使い物にもなりませんしね。ただ、僕が、あらゆることをやめた場合に、僕の血が……(編注:原稿無し)

土方 肉体の拡張だ。

芥 そうです。だから僕は肉体を持っていないで、僕の見たものが、すべて己れの肉体だってことで、そうすると、観客がそのとき、僕の見た風景が、こうやって窓からナショナル・カラーテレビが見えますし、街が見えますし、部屋が見えるわけですけれども……

土方 ほんとうはね、“肉体”ってないんだよ。

芥 ないですね。これはよかった。それを言いたかったのです。

土方 言いたかった……?

芥 いや、聞きたかった。

土方 当たり前じゃないですか。

芥 そうですねえ。

土方 そんなこと当たり前ですよ。それを、ただ、そのひとつだけをとり上げてね、それを定理にしてさ、そこからね、あるものをね、形あるものにね、溢れていくというやり方じゃなくてさ、ただ、ルールというものを、

芥 むしろ、肉体を取り戻すということですよね。舞踏というものは、強いて言えばね。

土方 そういうことです。

芥 僕はそれしか言えません。

土方 あの、こうやっていま話していることをさ、存在たらしめようと、その最低の節度があるわけじゃないか。それで、喋っているわけだよ。ないですよ。もともと肉体なんていうものは。

芥 ないですね。設定ですから肉体は。

土方 それをね、一分間に何回言うかということによって、あるかないかなんていうことも出てくるわけですよね。何回言ってもいいですよ。のべつ幕無しで、ないないって……

芥 たとえばですね、だから僕がしゃべりますよね、お前、入っちゃってるんじゃないか、さんなん(編注:ママ)で倒れるぞ。僕をビールビンにするわけですよ。入っちゃって。僕、こうやると倒れるわけです。そうすると人間、ポーンとビールビンの中に入っちゃうわけです。肉体がないわけです、人間には。これは、この1DKでずっとやってきたことですけどね。

土方 それはね、結局、まあ、そこにビンがあるからいいやな。

芥 その時、だから、これが(これの形が……消える)

土方 ないんですよ。御飯を食べていてもね、ないものがないものを食っているんだよな。

芥 そうですね。

土方 ねっ!それなのに、どうしてその食べものは、のどを通るのだろうと思って。不思議に思うんだよ。

芥 結局、あの……

土方 そのときにね、私は、これは神経がちょっと、おかしくなっているんだとね。神経の変調が来たんだと。

芥 変調?

土方 変調。ですから、やはり、あの、ほんの進化の果ての直観の砂漠みたいなものでね。よくあります。一日一回、まあ、今日はご馳走になったけれども、こううちでね、飯を食っているときに、よく、砂漠妄想といってね、そのモゾーですよね。その砂漠を妄想するというのは──

芥 マク?

土方 要するに、便所の中に入ってさ、飯を食ったなんて、夜中に子供が起きて、よくありますよ。

芥 執念の中で生活やるっていうやつですね。

土方 食べているときに、食べているという一つの実感がないわけです。寿司も消滅するし、オレも消滅するとうのはまあ、そこらへんは山口さんに聞かないとわからないわけですよ。とにかく、私は素朴にそう思って「あっ!」と声をあげるわけです。

芥 ええ。

土方 ■(■:解読不可能)とかね。そういう納得がね、ありますよ。それ以上いくとね、もう拡張しかないでしょ。

芥 そうですか。濫用です。

土方 つながっているんじゃないですか、肉体はね。やはり体の裂け目にすぎないということは、これはもう、極めてなんというか、私は人情と言いたい。非人間的な条件なんて、すぐに、ばかにされるけれども。人情ということ。

芥 僕は、一応風景と呼んでいるんですけれども。これも風景ですし──で、山口さんがやっていることは、風景についての報告ですし、たとえば、ものを食う。これ味なんか、味もなにもありませんしね。一種の記憶の再現でしかないと思うんですね。全く無味乾燥なことですよね。まず、アッと、言ってしまうっていうのは、確かに非常に僕わかりますし、僕もそういう時が……だから結局、ドアをとっぱらっちゃうわけですけれどもね、とにかく、隠れてやる必要、全然ないわけですよ。こんな記憶がそのまま出てきて、こっちは記憶の奴隷になっているわけでしょう。こういう刃物持てば、三島某のように、まあ、天皇の再現、できないこともないと思う人ですけれども、どうもこれみたいに、ありとあるもの人間の手で、がんじがらめになった事物を見ていますとね、これらの恨みを晴らしてやろうっていう気になりますからね、逆に。

土方 じゃ、あんたは人間じゃないんだよな。 

芥 僕はその辺、皆目わからないですよね。要するにわからなくったって

土方 いちゃもんつけているのはビールビンだけじゃないだろう?

芥 ある意味では、ですから、そう呼ばれないもの(傍点:もの)に

土方 ビールビンがあなたに、訴えろ、裁判に訴えろと、あなたを、その弁護士に頼んだわけじゃないでしょう。

芥 神々がもしいるとしたら、熾裂な戦いを強いられていたわけで、神々がある地点で敗北を予感したとき、人間をつくった。神々が自分たちのかわりに戦っている相手と戦う代用物ですよね。

土方 ふうん。

芥 で、その戦いをひきうけたのが神の代理人であって、それが熾裂な戦いの相手と戦うんであって、恐らくその神々が戦っている相手が、われわれをここに存在させたのではないかという、地点ですけれども、もし神々がいるとしたら、とうことで。

土方 ふうん

芥 普通、まあ政治になっちゃいますと(削除:まあ政治になっちゃいますと)一切、神々のかわりに戦うことをやめるわけですよね。神々の背中にくっついて、神々にケツからオカマをほられて、逆に人間を縛ることしかできない。人間を縛るんだったら政治なんだから、オレはやりたくない、ということがありまして、だったら街々蜂起させよう、結局、事物のブランキズム……それが街路だと

土方 困るね、あんた日本にいるうちはだめだよ。そういう考えもっちゃ。やっぱりね、アフリカに行ったりね、あれだな、黒人に会ったりしてね、あんたがあまりに自由であるということによって撲殺されなければだめだよ。

芥 おそらく、そういう予感がなんとなくありますけれども、二、三年後に行くつもりなんですけれども、(削除:行くつもりなんですけれども、)

土方 髪の毛から、足の先まで自由だと、理屈無しに殺されますよ。

芥 それはわかります。暗殺の予感ってやつですけれどもね。(削除:ってやつですけれどもね。)

土方 ただ、環境的なサラとかビン、たとえば、山口さんは殺されずに帰ってきたわけだけれども、何も、こういう土器っていうのは殺されないよ。

芥 ええ。土器から成器(編注:ママ)へと身体を

土方 ね、人間は必ず撲殺します。

芥 それで人間でなくなればいいわけですよね。ものものになってしまえば……と

土方 あんた、自由そのものになったときは撲殺されますよ。そうじゃないかね。

芥 そのときはじめて己をここに存在させたものと対面できるわけですよ。まあ、この、それが舞踏の極限だと思うんですけれども、僕なんかにしてみれば。折角時間がたっぷりあって、このたっぷりある時間を使って使い切るには錯乱しか役立たない。その錯乱が形式化したものが祭りであり、舞踏であり。

土方 時間もねえ、やっぱりあれだなあ……。

芥 その空間に“遊戯”っていうのをひとつおくわけですけれども。それで釣り合い

土方 遊戯ね。

芥 すべて(傍点:すべて)の営みは、これも遊戯しているわけですし、僕も、こうやって喋っている遊戯の末裔ですし、まあ、文化人類学っていうものを作ってそれを、勉強するのも報告の遊戯ですし、遊びです。これ労働じゃないですからね。だから、アフリカへ一回行く、日本へ戻ってくる、またアフリカへ戻されてしまう、暗黙のうちに、これも目に見えないさらに一つの遊戯で、その辺を己れの舞踏の摂理に使えたらと

土方 三才位の赤ん坊っていうのはどういうふうに遊戯しているのかね、あの、ハンモックにこう揺られている赤ん坊は……。

芥 ただそれだけの“美”ですね。“美”。

土方 “美”?

芥 そうです。美しいのだが……

土方 それは、あんたが決めるんだろう、その赤ん坊は何を考えているかわからない……

芥 で、結局、非在の自在性ですよね。

土方 いや、そうじゃなくてさ、ハンモックに、こう、ほっぺたが揺れていれば、ここら辺から何か考えるかもしれないじゃないか。

芥 そうなると、エロスの領域ですからね。

土方 エロスじゃないよ、触覚があるんだからさあ。

芥 ええ。

土方 ね、ここから何か考えるかも知れないじゃない。ね、私はさっき米びつに入れられたっていうのは大局の話をしたんだよ。ハンモックに揺られて外国のほうぼうで。足腰からいざりになっていく日本の肉体は、まず一応体質、さっきアフリカの話をしたから。しかし、その三才位の赤ちゃんっていうのはどうなんですかね。山口さん、たとえばアクティヴの前の胎動血液のその赤ちゃんがね、あの、■■■■(■:解読不可能)ジャン・ルイ・バローなんか、それから先突きすすんでいませんね。あれ、どうなのかねえ。ここにこう網の目がつくのかしら。ここに何か、すごーく残酷な人が生まれたりさ、何か、あるのかねえ。

芥 それを■(■:解読不可能)ため■(■:解読不可能)、金(ルビ:キン)みたくなって、オレはハムレットじゃない、金嬉老だっていうハムレットの台詞でやっているみたいな■(■:解読不可能)ますよね■(■:解読不可能)出てきてしまう、中からはじめて外へ出てくる。■(■:解読不可能)だから、ハムレットの台詞、to beなんてやって、オレは■(■:解読不可能)金だとやりだすわけですけれども。

土方 よく日本でさ、タライに入れたときにね、まわりの大人の顔は全部覚えてたなんて文学書に出てるじゃない

芥 そうですか?日本では文学書に──

土方 出てるよ。オレなんか、まわりが金色で■(■:解読不可能)いかなんて、いたよ。なんか、オレ、ちょっと聞いたことがある。そんなこと■(■:解読不可能)つかないと思ったけど、そんなことあるんですかね。人類学の見地からいうと、態度形成期っていうのは、

山口 いや、それは絶対何とも言えないな。

土方 だから運動の前に■(■:解読不可能)がその前にさ、要するに態度形成期っていうものがあると思うんですよ。

芥 ふん、ふん、ふん。肉体地質学が。

土方 そういう迷いがね、ときどき私を襲うね、やっぱり。うちのガキはね、まあ、オオガラスっていうんですけれどもね、■(■:解読不可能)とにかく一つでことばをおとしたよって、オレのところに来たんだよ。まあ■(■:解読不可能)だろうな。アイツね、ものすごい不良ですね、わからない。おれたちの育った頃と随分違うような感じがする。まあ、あんたも。どっちかというと不良でしょう?不良って言えばさ、まあ、相当、産児かい?■(■:解読不可能)っていうのは不良じゃないか。

芥 私生児ですね。

土方 私生児か。

芥 私生児ですよ。

土方 ふうん。

芥 役者とは、天と地の接点だって、威張っている位だから、私生児は。

竹永 たとえば、山口さんあたり、アフリカに行かれて入り込むときですね、あの、幾ら文化人類学っていうことが必ずしもある意味では、やっぱりフィクションですよね。山口さんが入り込んで行かなきゃ始まらないというところがあるわけでしょう。

芥 でも、誰も行かなくなったって、やってるよ。

竹永 それはもちろんあるよね。ただ文化人類学っていう場合に、その山口さんが入り込むことで

芥 いや、アフリカっていうフィクションに文化人類学っていう現実が入り込んじゃうんじゃ。

竹永 だから、それは、アフリカだけじゃないんだからね。

芥 だって、手つかずのものがあるわけだもん。石だって直線がないわけで、神々が曲線で、まっすぐ描くわけだから。

竹永 だから僕が言うのはね、ただ山口さんが入り込むことによって変わるものが要するに記録されるわけだよね。

芥 眼球だけが入るんだよ。やっぱり、山口さんの場合、そうじゃないと、あのくらいの台詞言えないよ。体、全然、入って……

山口 私の場合、“手”だな。

芥 まあ、手が眼球になるっていってもいいでしょう。大体、日本人でしょう、だのにっていうのがあるわけで、むしろアフリカの方がフィクションであって、大きな……で、日本人ていう現実(現実:肉体に訂正あり)が入り込むと、どうしてもそれがわからなくなるから、己れが眼球になるという、一つの作業が行われるわけでしょう。そにかく無限大の時間が距離にかわって直線なんて存在させないという空間があるわけでしょう。……兎角、だって、ものすごく、あの、短い直線を連続して集めると曲線になるわけだからさ、直線なんて使うのは一番簡単でね、一番精神の貧困があらわれるわけよ。直線なんていうのはさ。とにかく焦ってなげやりで線をきめるから、直線しか出てこないんで、これは焦らず、投げやりにならず、貧困さを放棄したら、直線なんてひけませんよ。だって、まっすぐ突っ走る舞踏家なんていないんじゃないかなあ。

土方 しかし、相当、横につながっている話だよな。

芥 そうですね。

土方 まあ、いいや、横でやりましょう。横でやらないとだめだ。

芥 アフリカの広がりをもって、今日は(今日は:この1DKはに訂正あり)いきたいですね。

土方 やっぱり、あたしね、この間山口さんと山崎さんの対談読みましてね、最後に、その形というものが形の■(■:解読不可能)というものがありましてね、形なしにものを考えられないという性質の人もいるわけですよ。形の起源ていうのはどういうところに……

芥 その辺、僕も聞きたいな。その辺、聞きたいところだ

土方 ■(■:解読不可能)の場合でも、それから■(■:解読不可能)ていうですね。

山口 形の起源というのは、やっぱり、あの人だと思うんですけれどもね。

土方 ■(■:解読不可能)ないわけですね。

芥 でも、さっき、マキガイの部落がありましたでしょう。

山口 説明は簡単、あの要するに、人間になる瞬間に、すべての形に対する感覚というものは、全て出来上がっていたんじゃないかと、人間になる瞬間っていうのは、いつのことかということは、われわれにはもはやもう全然、この、到達不可能なところにあるし、しかし、われわれは常に、そうなるかならないかというところでいきているという意味で、時間的に、その先とか、そういうところに言えない問題があると思うんですよね。

土方 その人間になる瞬間っていう、人間だけが形をもっていると、たとえば、昆虫が葉っぱなんか喰って形がないというお話しでしょうか。

山口 そうですね。たとえば、昆虫なんかで擬態なんかありますよね。そうすると、それなんか、明らかに形ですね。ある意味では擬態の中に形の起源があるっていうような形で、さらにこう、

土方 そのギタイ、ギタイってのは、擬人の「擬」ですか?

山口 ええ、たとえば、何か強力な動物に面したときに、小さい動物がある種の形をとって

芥 ふんふんふんふん、形態の見栄をきるわけですね。

山口 とにかく、それで、その自分の素材を隠してしまうような、それがありますよね、そうすると、その中にはすでにありうるかもしれないと。しかし、われわれの形の概念というのはね、形、こう、何かを認識するという、そのことばにのせるところまでにもってくる前提としての形っていうものは、やっぱり、人間(人間:ヒトに訂正)が人間になる瞬間に、やっぱり浮かびあがってくるもんじゃないかなと。で、形の前提になるものは、人間である以前に、その動物的な基礎において成立しているかもしれない。

土方 それは前提ですか、進化の果てですか、たとえば、鳥なんか物を食っているのを見てますよね。これから一生懸命、形とか追究していくと、本能というものに直結された進化の形が、ああいうふうに、葉っぱを喰っているんじゃないかと、ふっと感じるんですよね、人間がね。形をね、人間になったときに形を所有したいという言い方について、まあ私は、実際、体を動かすときにね、人間として形を所有した実感はないわけですよ。

山口 逆にね、あれじゃないですか、しかし、その瞬間に、真の形を失ったというふうなね、ことは言えると思うし、あの、舞踏なんかでも結局は、その以前、以後はおかしな言い方だけれども、かえるというような究極的な理想じゃないかと。私はちょっと感じさせられたのは、あの、ちょっと持ってきたんですけれどもね、シベリアのシャーマンの踊りの写真があるんですよ。

芥 ああ、そうですか。

山口 私は、これを見てショックだったんですけれども。これが、シャーマンが鳥になった瞬間を、写真は古いから、この今、われわれが見るような写真と比べてずいぶん■(■:解読不可能)けれども、これがあの、普通、黙って立っているときのシャーマンですよね。

竹永 なるほど。

山口 鳥を、装させる(ルビ:ママ)、鳥の仮面っていうのはいないんですよね。これはシャーマン一般の共通のシベリアのブリアートというんですけれどもね、あの、だから、鳥ということを、ここでは示していない訳です。必ずしも。毛皮はどこかにつける、写真でははっきりしないけれども、鳥の羽をつけるとか、そういうことは、あり得るかも知れないですね。その次の写真では、このこれですね。鳥としての演技をやって、もう、演技というしかない。とにかく。■(■:解読不可能)瞬間を誰かがカメラにおさめたわけですよね、相当古い写真だと思うんですけれども。これなんかは、もう何とも言い難いけれども、ああ、なるほど、と。

土方 これは、あのねえ、

山口 ええ、だから、その……

土方 これは穴ですか?

山口 いや、穴じゃないです。それは影ですよ。

土方 影ですか

山口 ええ、だから、ニジンスキーが、その■(■:解読不可能)ええ、だけど、むしろ、このボケ方が、私にとってはもっと、

土方 それは、あれですねえ、私ね、これと同じような体験を日本の■(■:解読不可能)ね、この間、写真映像に北海道開拓史の写真、載っかったことありますね。たとえば、写真というのは長崎と横浜で非常にまあテクノロジーが発達していますね。単なる記録写真としてね、北海道開拓史をうつしたという、いいますね、そうするとね、大地に寝ていてもね、■(■:解読不可能)これはもう立っていますね、非常にアイヌは寝ていても、ずっと、寝ている人ですよ。陽炎か何かわからないけれども、だから、これが、やっぱり、シベリアの土でないと、こういう鳥は飛ばないでしょう、きっと。

山口 ですから、そういうことを、たとえば、先ほどからずっとまあ、いろいろ話が出てきているんだけれども、その、当面、さしあたってのタイトルがあるね、事実と演劇というふうなことに引き戻して考えるならば、やっぱりその辺に、こう問題があるんじゃないかと。まあ一言にして言ってしまえば、万百一元論ですよね、人間が本来あったところに戻るという、そういった行為として演劇があると

竹永 地上が現れるってことだと思いますけれどもね。

芥 (写真)これは地上の上に立っているだけで、ちっとも動いていないから。

土方 地上って言うけれどもね、あの、いま踊りでも、■(■:解読不可能)だよね、だから鳥がね、地上を雲だと思っているらしいですね、最近の鳥は。あの超(編注:ママ)なんか高速の飛行機が飛んでいるでしょう、空の地というものが乱れちゃってさ、天と地と両方乱れちゃってさ、鳥が下を歩いている

芥 じゃ、僕と似てるわ。上か下かわからなくなっちゃった。

土方 変なね、鳥がね、このごろふえたって言うんですね。ところがね、その雲の上を飛んでいるとね、逆になっちゃったんだよ天地が。

芥 いいことですね。

土方 いや、いいことって言うよりも、それは実際らしいんだよ。それで……けれどもね、ほおう、どんなことがあるのかね、と言ったら、フランスでね、航空会社のやつそういうこと■(■:解読不可能)それじゃ、だんだん、だんだん、そうなってきたかと話したんだけれどもね、私たちの話っていうのはさ、こういうことが多いんじゃないか、たとえば演劇構造の中にさ、釣り堀にさ、竿を、こうパッと投げるとね、■(■:解読不可能)コウモリを釣ったとかさ、

芥 はあ、はあ(笑)。

土方 そういうことが非常に多くて疲れますよ。私、そういう話をしていると、だったら、オレはね、釣り堀の水の排水のところに置き(置き:行きに訂正)ますよ、手掴みで魚を……鳥はね、とっても不安になっているらしい。飛行機の、あれらしいよ、だから、その鳥はね、バタバタ、バタバタ地上を歩くんだってさ。

芥 むしろ、ジュラルミンが翼になっているんですから、地面の中にもぐっていた岩石が翼になって空を飛んでいるわけでしょう。

土方 ふんふんふん。

芥 上も下もありませんよね。こうやって水道をひねれば、水が出るわけですから、地下水のところに住んでいるわけですよ、われわれ。お湯も出ちゃうわけですよ。これはもう、地下水の溶岩の接点にわれわれ住んでいるわけで、とんでもないへんてこなピラミッドの中にとじこめられたようなもんなんですよね。僕の場合、いかにこの閉じこめられた中から、外へ出るかという一言でしかないわけですから、そのとき、出たとき、未曾有の運動に強いられて体がやつざきになって、くたばってしまうみたいな。むしろ、もう、

土方 はっちゃきなんだな。

芥 そうですね。

土方 やつざきじゃだめだよ。はっちゃきじゃないと、だめだろう?■(■:解読不可能)そうすると、あれですか、あの一枚の写真の中にある、そのロシア人の■(■:解読不可能)で言っちゃおかしいよ。また、あんた、からむなよ。

芥 別に、からんではいない。

土方 風土的な相当、■(■:解読不可能)さえるような根拠があるわけですか。

山口 風土的なと……

芥 これ、あべべの写真と似ているな

土方 ■(■:解読不可能)とかね、こういう一枚の写真がね、やはり、ロシアではないとできないってのがありますが……じゃあ、あの

山口 たとえばナイジェリアであの、あるでしょうし、鳥の頭の模型を作って、鳥に近づいていって、全く形として先に鳥を押えるということによって、逆にそれから撃っていく、われわれは普通、日常的な常識で考えると、真似して発信さすなんて、ばかなことを考えるけれども、形としてとらえてしまうという行為の延長として、その狩りがあると、狩猟があるというふうなことはアフリカにおいても成立つわけですよね。

芥 むしろ……

土方 その行為っていうことなんですけれどもね、その形っていうのは、あれですか、■(■:解読不可能)でするんですか、それとも犬なんかこう走っているとね、頭からこう、だんだん、だんだん、剝いでいってね、最後に鼻にひっかかりますよね、剝製なんかみて、最後にここで、こう、パッと、こう皮を剝ぎますよね、形っていうのは頭のほうから、こう見るものですかね、最初の原始人なんかは、たとえばウサギなんかは■(■:解読不可能)ですね。あのう、どう見るんですかね。形っていうのは、こういうふうにとらえるものですかね、原始人は、ラスコーなんかどうですか、あれは、牛だからしょうがないけどさ。

芥 やっぱり動いているときじゃないのかねえ

土方 動いているとき、ったってだよ……

芥 たとえば、これですよ。

土方 動けばさ、毛は、こう逆立つしさ、ね、風のないときウサギがとまるわけですよ。

芥 ラスコーなんか、しょせん写し絵ですけれども、全部動いていますよ、あれ。

土方 ラスコーはね、ちょっと待てよ、なっ!たとえば、あの猟犬とかさ、■(■:解読不可能)ダーッと体が細くなってさ、いかにもスピード感があるような、ちょっと■(■:解読不可能)ような肉体になっているだろう?

芥 でも、あの、こういう鳥の仮面をかぶってた人間が、牛の下で、くたばっていますでしょう、ラスコーの場合。

土方 あれは、またね、■(■:解読不可能)ひっくり返る体だから、また違うと思うんです。あれは、あそこで■(■:解読不可能)本で読んだからね、それでね。

芥 僕、見たわけじゃないですから。

土方 何か、あれですかねえ、形というものに対して、行為というものが行為の中に、

山口 ただ形として見る場合に、こういうふうな線の流れとして、こう空間的な、時間的に見るというふうな感じ方があると思うんですね。しかし、それと同時に、今度は同化する対象として見るという場合に、たとえば彼にとって狩猟っていうものは、まず、同化することという場合に、線の流れとしてとらえているかどうかと……いうのは結局、一番最も効果的にこう、■(■:解読不可能)技術があると思うんですよね。意識しない技術があるという、もっとも彼らにとっては、メラリティ(編注:ママ)の商い、そのときの、もの(傍点:もの)というのは、こうおうふうな線とは、ちょっと流れとしては見るものと、われわれが説明しやすいような形で、時間をかけて考えるようなものになるかどうか。

土方 違います。

山口 ええ。

土方 私は違うと思います。

山口 で、そこを……

土方 たとえば、豹でも、犬でも走っていくと、だんだん、だんだん体が細くなります。それで流線型になります。毛がなめらかになりますね。それとは反対にウサギの毛を逆になでますよね。それで動物の形をとらえたという、両方があると思うんです。それは、しかし、あくまでも形に追いすがった行為の次元であってね、じゃ、行為というものが一体どういうところから出てくるかと。絶対に、その一発で、必ずしとめるということは、どういうことですか?たとえば、どんな有名人でもね。仕損じることはありますよね、ところが絶対仕損じないというふうな意味の言い方っていうのはあるんですか、また、それを極めないとね、なんか、こう■(■:解読不可能)があってね。

山口 それはね、絶対に仕損じないというのは、こういうことになるわけじゃないですか、あの狩猟しているときだけが彼らにとっては狩猟という行為のすべてではないわけであって、それは、その、ある別の機会に彼らは大体、そんないつでもやっているわけじゃなくて、一定の時期に彼らはやるわけですよね。で、その場合に、たとえば、前の日に、これこれのことをやって、これこれのことをやってというふうにして、自分を次第に変えていくわけですよね。たとえば日本の猟師だって■(■:解読不可能)だって、■(■:解読不可能)というふうなことをやります。そして、自分が違ったものになっていくと。で、その結果として、その狩りがあると、で、そこで、結局、こう行われて、その撃たれる、またその撃つという瞬間があるとしますね、で、そのとき、まあ当たらないということは始めから何もしなかったと同じだということは、これは行為において、どっか決定的に間違ったところがあったという、その最後において間違ったんじゃなくて、すでにはじめから間違っていたというふうな、こう思考のステップを踏むんかないか

芥 ふんふんふんふん。むしろ、相手を静止させるわけですよね。

土方 ちょっとまてよ。

芥 たとえばランボーですよね。

土方 ちょっと待ってね。たとえばね、僕がまあ、ウサギをまあ、こう■(■:解読不可能)ますね。これは絶対、当たり外れがないと思ってさ、

芥 ないです。ウサギを静止させる、ウサギの持っている速度よりも、こちらの速度が上回るわけです。

土方 そんなことを言っちゃオレの理論になるぞ、あんたいいか、そんなこと軽々しく言って!

芥 いいです。

土方 履歴書に書かれるよ。

芥 いいです。

土方 たとえば、いま走っている人を見て、百年前も走った、同じように体をほどくとなれば、風でもほどけるんだからね。いいか、私が言っているのは、

芥 ほどいたら死にます。体は。

土方 最初から体ってないって言ったじゃない。

芥 速度を持ったとき、体が形態を取り戻すわけです。こわいです。

土方 私はね……。

芥 これが、速度です。スピードでなく、速度がこの形態を保ったわけです。たとえば、このときの速度というのは、ウサギが走っている速度より速いわけですから、ウサギは静止しています。どっからも撃てますから、いつでも殺せます。

土方 事実だ。

芥 ランボーが街をやっつけたのと同じです。スピリチュアル・ハンターです。

土方 私はね、非常に素朴な人間です。私が言うように、ウサギは必ず百発百中なんですよ。

芥 でなければ、僕は……

土方 いや、■(■:解読不可能)あなたは必ず当てる?

芥 えっ

土方 そんな抽象的なことじゃないんだよ、オレがやれば必ず当たるんだよ。

芥 僕もあたりますよ。

土方 どうやってやる?

芥 弓矢なんて使わないでウサギを殺します。

土方 僕は使うんだよ、ちゃんと。

芥 僕は使わないです。そんなちゃちなもの。

土方 ■(■:解読不可能)ある力を介して必ず当たるんだよ。

芥 こちらの脳髄を、その弓矢より速めればいいわけです。ちょうど中島敦の名人伝になっちゃいますけれどもね。ミノムシがこんなにでっかく見えるわけですから、当たらないはずないですよ。

土方 そうか■(■:解読不可能)とか。

芥 とにかく遅いわけですから、動物なんていうのは、人間なんていうのは、人間なんて四つん這いで

土方 私、体で覚えたんですよ。断食して覚えたんですよ。

芥 僕、風景で覚えました。

土方 風景?

芥 ええ

土方 ■(■:解読不可能)全部食っちゃうわけですよ。自分の体で、ね、自分でね、ジーッと待っているんですよ。一発仕損じると、テメエが死ぬわけです。

芥 そうです。

土方 いいですか?

芥 そのやり方だったら、そうなります。

土方 そうすると、必ず当たりますか?

芥 そのやり方だったら……

土方 当たるかってきいている

芥 えっ?

土方 タマがね、

芥 あたらなかったら死にますね。撃った方が。

土方 その撃ったやつは、どう……

芥 取り戻せないわけですから、撃った……

土方 撃ったやつはどう……

芥 不幸な人です、はずれたら。

土方 当たったと思って死ぬんだろう?

芥 えっ?

土方 西部劇でさ、お互いに相撃ちしてさあ

芥 撃った瞬間死にます。当たったとき、甦ります。当たらなかったら、そいつは、くたばって不幸なやつですね。

土方 しかし、まあ、そういう言い方すれば……

芥 こうやって車を見てくださいよ。ビルディングの方がよっぽど速いわけですよ。動きませんからね。それ?です。

土方 日本人の■(■:解読不可能)だよ、ね。ただ、黙ってころがっていればいいんですよ。どんどん、どんどん。

芥 これほど速いものはありません。

土方 過ぎていくんだから、ね、だから私が最初に、日本人の手足が小さいというのは、歩くとか、こんあことはやめたほうが、いいんだよ。

芥 ですね。

土方 黙って寝床の中に丸く縮まって、そこに置かれていれば、どんどん、どんどん周りが過ぎていく。そういうふうな情けない肉体からまずはいらないとね。私は何も始まらないと思うんですよ。たとえば、さっきさあ、山口さんが言った、

芥 それは日本人だけじゃないですよ。イサクとアブラハムの関係です。これは。

土方 そうかもしれないけどね。日本ではね、感性において、非常にもおう、世界一■(■:解読不可能)

芥 まあ、僕は世界っていうのはよく知りませんから、一つか二つかわからない(笑)。

土方 記号的な、要するにアルファベットだな、やっぱりな、そういう世界では、私は断固として、その東北だと。

芥 ここも東北ですよ。目黒東北ですからね。ここは東北以外の何ものですか、こんな田舎じみた。

土方 東北っていうのは素晴らしいのかね。

芥 そうですよ。

土方 やっぱり、東北が、やっぱり日本人の最後のシャーマンが出る、その風土として断じていいな

芥 シャーマン、一人の人間を選んで、そやつをシャーマンにさせるものがあるはずですね。僕はそこっきり興味がないわけです。己れがシャーマンになることはやめましたけれども。

土方 騎馬民族とか、■(■:解読不可能)去年あたり、流行ったでしょう。

芥 ちょっと流行りましたね。

土方 私はもう本を読まない。ああいう本は、だって秋田に行けば、みんなあるよ。猟人もいるし、百姓もいるし、■(■:解読不可能)細工師もいるしね、なんですか、踊りの運動アクチュードが、まるっきり説明されているね。■(■:解読不可能)のは東北よ、最高よ、それからね、暗くない、明るくないという一つの話が全然違うね、大体、日本海なんか見てね、明るいとか、暗いとか話したって始まらないじゃない。暗いと言えば暗いし、明るいと言えば明るいですよ。そういうふうなこと、全部あそこにあるわけですよ。私は、まあ、今日、山口さんと差しで話すつもりだったからさあ、私は東北のことを話してね、踊りの根源的なことを掘り起こそうとしたいし、■(■:解読不可能)わからない。肉声で聞いた方がわかる。耳学問の方がわかりゃあいいんだよ、どちらかといえば。でも、今日はおもしろかった。おもしろかったというよりも、なんか、あの、相当いい線が出たんじゃない?

竹永 (笑)

芥 もう少し、煮詰めたいですね。編集部としてはどうですか?

竹永 しかし、山口さんと……

芥 まだ、テープの半分位ですよ。

竹永 まあ、遅くまで、あれなんですけれども、

土方 天井桟敷の……

竹永 まあ、それは、よしにして、

土方 よしって、どうして?

竹永 それは、やっぱり、一応、共通項でない限り、話ができないところがありますからね。

芥 そろそろ、締めくくりでさ、だから人間とものの違いと言ったら、人間は形態を一切放棄した存在であってって、言うんじゃないでしょかね。形態というのは、ある意味で無数の速度をもったときはじめて形態になるわけですから、これも初めて形態を得たわけですよね。それと同じで、ただ踊るということは、むしろ形態を取り戻す、むしろ逆に言えば、ものものから形態を剥ぎ取って己れの形態にする、ちょうどランボーが街を歩いていて、街から形態を剥ぎ取って己れの言語に置き換える、そういう記号っていうのも一つの形態ですよね。これは、こういう器からきているわけですし。まあ、この器にしたって、こうやって手を広げて水をすくう形態で、これから全部きているわけですよ。これにしたって、これにしたって、全部そうですから。テーブルというのは、これでもなければ、どうも何でもない。すると、地上っていうのはない。地上がない限り地上をつくらなければならない。その辺が劇場論に発展するわけで。

土方 結局、何も欲しないことがね、体の中に同居したことを発見してね、そこであわてるやつがいるか、あわてないやつがいるか、ということがわかれ途……

芥 そのときね、なぜ体の中でなければ、いけないんでしょうね。

土方 でも、私は体といいます。

芥 僕は、体の外って言います。

土方 外でも内でも、内も外もないっていう話でしょう。

芥 ええ、ないわけです。

山口 ですからね、陳腐な言い方をすれば、体の外、内ということよりも、むしろ、その土方さんは、そのミクロコスモスとしての体を語っているんであって、あなたは、そのミクロコスモスと重ねようというね

芥 ええ、両方とも葬ってしまおうと、したいんですけれども。

土方 しかし、ミクロも、マクロも、そんなこというの、あるのかよ。あたしね、羽田ではじめて飛行機に乗ったらね、だんだん、だんだん緑色になってね、だんだん、だんだんミクロ、マクロっていうんですか、あれ、ね、■(■:解読不可能)に、ぐっと■(■:解読不可能)つけるとさ、マクロだよ。だから、そんなことはね、何か、飛行機が発明されたら、わかったんじゃないの、ミクロ、マクロ、というふうな論議じゃなくて、私は、やっぱり人間っていうものを、ここに置いて話しているわけだよ。だからねえ、その、あれだなあ、何もしないという大アバンギャルドを捜し求めていったらね、その体の中にあったことで驚いているんだな、みんな、また、体の外へ溢れようとしているんじゃないの?今の……

芥 そうなると、肉体地質学っていうことになっちゃいますでしょう。

土方 そうすると、私は■(■:解読不可能)が一個、■(■:解読不可能)が一個ね、ドーンとあった。だってさ、もともと、人間なんて自由なんだよ。それを、なんかね、何もしないことを欲しているなんていうことを、苛烈なことだと思っていたら大間違いだよ、あったんだよ。

芥 もっとも、人間なんて、何もやっていないんじゃないですか?人間、何やったかと言ったら、原爆つくっただけだから。おそらく。

土方 そういう風なね、でもね、私は、あれだなあ、この席上でじゃ、しゃべらないけれども、****(編注:ママ)だから、しゃべりますよ。それはね、何も欲しくないという符号がね、芥さんね、****に変えちゃってるというか、それは家族の事情だからよくわかりませんけれども。

芥 ****

土方 ****わからないけれども。

芥 いや、別になんでもないですけれども。

土方 そういうことはね、やっぱりあれだろうなあ。

芥 己れの見たものを、どこへ行っても公然と言い放つ。これだけですけれども。

土方 だから、あんたが全部ものを食ってしまえば、今度は食われる番だよな。

芥 僕は何ももっていないし、守るべき何ものもないし。

土方 喋っていれば、喋られるしさ、ね!

芥 僕が喋っているのは、ちょうど、テープ・デッキになっているだけですよ。

土方 喋れば、喋ったものに食われるしね、当然のことでしょう。愛と欲が二つあるんだから。

芥 それは記憶がなければ別にどうしようもない■(■:解読不可能)僕は……。

土方 愛というものは体の中に同居しているものなんだ。たとえばね、あなたが相当愛情が深い、あなたがいつも目障りじゃないもの、あなたがいると思って喋っていないもの、だから同居しているんだから。

芥 そういう言い方だったらわかりますよ。

土方 いやいや、だってオレはそういう男ですよ。浪花節だからね。だからその、欲が絡むとさ、欲があんたを食っちゃったりすると、危険だよ。あたしは、そう思うよ。オレはそう思うんだよね。目の欲があまり発達すると、ネコの舌がさ、呂律がまわらなくなったよ。もう体って大変なんですからね。反逆するんですから私に。私に反乱を起こすんですよ。ただそのときにさ、やっぱり、ずるくねころぶ体になります。さっき言いました、手が小さくなるからさ。

芥 そのとき、転ばないで消えちゃうっていう方法はないわけですか。

土方 消えちゃうっていったってさあ、

芥 消えちゃう……たとえば、喋っているうちに、こういうものが消えていくわけです。僕の場合は。これと同じように、ものものに何かを喋らすって僕らの……

土方 でも、オレの職業は踊りだよ。

芥 消えてって……

土方 だから、はっきり言えば消えるということにね、

山口 先ほど僕が■(■:解読不可能)とき、あの、どうやって何かすべてが始まるのかというようなことをしきりに聞かれようと、聞こうとしていたですけれどもね、一番理想は、やっぱり消えちゃうことなんですね。

竹永 それは、そうですね。

芥 その辺、できたら、何かもう未曾有の携帯がもってこれるんじゃないかと思うんですけれども。そっくり空に浮かんでしまうアフリカの方が、あの空に浮かんだヨーロッパ州は、州ってやつけれどもね

竹永 ある意味では、だから、やっぱり、ほんとうはないんでしょうね。

芥 結局、ひとつの架空、架空だから空にぶら下がった十字架のかわりに……空虚の空ですけどね。

土方 消えるっていうのはどういうことなんだい?ちょっと聞かせてくれない?

山口 あのう、具体的な例を申しますとね、たとえば、あの、私が■(■:解読不可能)に行ってみて、ある町に住んでいたわけです。アメリカ人の、その人類学者が家族で来たわけです。

芥 家族連れで?

山口 うん、金を持って。私も家族連れですよ。

芥 あ、そうですか。

山口 というのは、なぜかと言うと、第一回目のとき、私は大学、ナイジェリアの大学に呼ばれて講師で行って、その休みの暇に行ったわけですから。生まれて2、3ヶ月のチビを連れてずっとその奧まで行ったわけですよね。で、その場合に私は全然銭がないから、町へ行ってもすぐ、村へ行っても、その彼らのところに泊めてもらうわけですよね。ところが、アメリカ人の、あれは、金があるから、来て、まず原住民風の家というのを、原住民が家をつくるのに使う金の百倍を使って建てるわけなんです。そうすると、それは大変だということで、みんな近隣からワンサ・ワンサと押しかけてきて、入ってくるわけです。で、こう見るわけです。で、私たちがある家の中に、■(■:解読不可能)彼らが入ってくる。入ってくるというのは全然意味が違うわけです。彼らは、われわれが住んでいるところを通路として使っているわけですね。突き抜けていくわけなんですよ。だから、彼にとって、その場合、われわれは消えている。消えている、ところが、このアメリカ人の場合は彼らは見に来るわけです。

芥 ふんふんふん。劇場になっちゃうわけですね。

山口 その彼らは、その要するに彼らに対して同化しようという、それで、娘まで裸にしているわけですよ。娘を裸にしている、それが今度はまた、めずらしいというわけで、ワァーッと来るわけです。

芥 ジャングル少年“ボンバ”ですね。

山口 うちの、われわれの場合は、とにかくもうその彼らが、われわれをわれわれと思っているような、変えられないような形でやっているわけですね。そうすると、むしろ、そういうような素通りしていく場合に、われわれは消えていくとすれば、少しずつ消えていると。ところが、アメリカ人の場合は最後に、その奥さん、ヒステリーを起こして、これらの、この男たちは、この村のやつは、プライバシーを理解しないと。

芥 あっはははは。

山口 ヒステリーを起こしてね、私は、その彼女に言ったのは、お前のとうちゃんだってオレだって、彼らのプライバシーを、とにかく侵すことによって何かを始めているんだから、この際やっぱり、プライバシーは言わない方がいいんじゃないか、と言ったら、お前は下品な男だとか、盛んにこう、わめいていましたけれどもね。

芥 その辺、山口さん、かなり高度なテクニックを使ったわけですね。

山口 その奥方、向こうのカアチャンは、ノイローゼになっちゃってアメリカに帰っちゃったわけですね。だからまあ、それは、その全部消えるとか、消えないとか■(■:解読不可能)少し消えたとかいうふうなことの積み重ねが一つあると思いますよね。

土方 あの、山口さん、今度生まれ変わってきたら何になりたいと思います?もうあらわれてきませんか?

山口 そこですねえ。

土方 ■(■:解読不可能)一切合切、もういやでしょう

山口 まあ、そうですねえ。何か、こう……

土方 どうして消えたいと思うのかしら?

芥 いや、だから、あの、形態のみを残して、あとの一切を消すわけです。そうしないと形態に速度を持たせられないっていうことです。たとえば、ピラミッドと、丹下が作ったビルだと、もう桁違いに形態の速度が違うわけです。その辺の意味合いですけれども。

土方 ふーん。

芥 おそらく僕が、こうやって、手があって、頭があって、形態が残りますよね。その他のものもの、この事物の方に回してしまうことですけれども。

土方 僕はもう一回、人間になって生まれてきたいような俗っぽいところがあるね。何かわからない人間って。

芥 僕は原爆になりたいですね。

土方 全然、わからない、人間っていうのは……

芥 人間が、僕は、いるかどうか……

土方 あなたは形態とか勝手なことを言っているけれども、私は人間って、さっぱりわからない。

芥 人っていうのはあるけれども、人間というのは存在しないで、人と人との間の時間と距離が人間ではないかと思うのですが。

土方 何か、人間の中には“闇”が一杯詰まっていてね、その“闇”に名前を付けるとなればね、死だとかさ、オシバナとか、いろんな名前、付けられるけれどもね。やっぱり環境でしょうか。こうやって話しているのは、アメリカのハイウェーの……

芥 風景描写ですね。

土方 風景ですね。人間が、ザーッとそこへ入ってくるとね、コカ・コーラが表れるけれども、ガーッと廃墟になっちゃう。そういう風なところで培われた、やはり外国の文化のね、消滅よいうような願望がね、

芥 願望じゃなくて、あのテクニックとして消えない限り、持っていくものも持ってこられない、砂漠へでも辿り着いて殺されて、砂漠から戻ってこなきゃならないわけですよ。

土方 このまま消えてみようかしら。四人一緒に。……この場で。

芥 四人が?

土方 四人だよ。

芥 四人が一通りのやり方で四通りのやり方ができます。でしょう?

土方 そうかね、じゃ、やっぱり、ガタガタするな。

芥 それが言語の多様性で、むしろ、それでもテクニックに使わない限り、もう何も確実さを保てないのではないかと思います。たとえば、ヤンキーなんかの場合、その文化人類学者の場合、地球が地上と思っているわけですよね。ですから、そういうお芝居やって騙せるんじゃないかと。結局自分がやらずに。

土方 人間を憎んだ経験がないからな。

芥 僕は人間を憎まないです。

土方 だから、言語が、きたない言葉があるとかね、きれいな言葉があるなんて、まず考えられない。ただ、そういう、おかしげな生き方にかかわって、そう見えるだけだろうということは、ちょっと、わからない。でもね、はっきり言って、私、人間を、消えたいという願望をね、踊りというか、しょっちゅう消えたがっているんですよ。誰でもね。

芥 そのかわり、持ってくるということがありますでしょう。

土方 ふうん。

芥 たとえば、床と天井がくっついちゃう。実際、あのとき、くっつきましたよね。

土方 ええ。

芥 御輿に乗って出てきたとき、だから、こっち身動きができないわけです。客席がバーッと上がっていって、天井が降りてきちゃうわけですよ。で、くっついた、何か得体の知れない輝きの中に、一人のザムザがこう動いているわけですよね。ステージに辿りついたときに、何かまた、せっかくくっついた床と天井が離れてしまう。

土方 何か、寝床に入ってさ、さあ、とこう寝るときに、ああっ眠るって、というようなものはあるでしょう。

芥 僕、寝ないんですよ。

土方 全然寝ないの?

芥 寝床で横になって寝られないんです。動物になっちゃって。

土方 立って寝るの?

芥 そうですねえ、このまま、こうやって毛布被って、ふと目覚めると、またここなんですよね。で、動けないですよ、しばらく。

土方 だんだん、舞踏家になってきたんだよ。

芥 (笑)とにかくね、こうやって、よっかかって寝るとか、年がら年中、体が運動しちゃっているんですよ。とにかく僕が、こうやって、ひっきりなしにしゃべっているのも出血しているんですけれどもね。とにかく、ダメで、横になって寝るなんて、一月にに二日か三日ですね。とにかく“血は立ったまま眠っている”って誰か、キザなこと言ったけど、あれは実際あるわけで、ただ血が眠っているんじゃなくて、形が眠っていて、だから脳髄は起きているんですよ。誰が入ってきた、誰が何を話しているって、全部わかりますしね。おそらくその辺っていうことで。

土方 脳髄も全部起きているかな、まだ使っていない脳髄もあるんじゃないかな。

芥 これは痛いこと言われますね。

土方 ほんとうにネコと話なんかできるのかい?

芥 できますね。三時間ぐらいだったら。

土方 それなら全部使っているな。僕の友だちで、あのう、犬と話、できるやつがいる。本当にいるんだけれどもね、そいつがね、犬の前に立つと、犬がずーっと後ずさりしますよ。ドブにジャバッと落ちるんですね。そういう訓練をどこで受けたって言ったら、お母さんがね、三つくらいのとき、帰るとき、背中をスーッと、こうなでるんだってさ、ね!とかね、それを毎日やるとね、玄関入るとね、ウウッと吠えるようになるっていうね。いや、これ、実際そうだったんだよ。だから、なでられるとかね、いじられるとか、使われるとか、何かね、そういう環境みたいなものがね、相当影響しているんだろうなあ。

芥 環境って言うより、ものでしょうね。だって、この酸素と窒素と、年がら年中体にやられているんですよ。僕の場合。

竹永 ただ、向こうなんか、あの、やっぱりありますか?

芥 この酸素と窒素をいうものでさ、もうこの、のっぴきならないですよ。だからこうやって、ビールビンで

竹永 今の土方さんがおっしゃったような■(■:解読不可能)みたいなことで。

山口 これは、あのう、肉食で非常に獰猛な動物なんですけれどもね■(■:解読不可能)って、名前は聞いたことがあると思うんですけれども。

芥 空気を奪い去って、その代わりに……

山口 常にエデュケイションするっていうような人間がいるということを聞きましたけれどもね、僕は実際に……

芥 そのときはじめて劇場が出てきて、劇場が空間を持てるんであって、空間なんて……

山口 必ずしも条件反射で慣すということばかりでない、

土方 時間をあんまり■(■:解読不可能)すると、信仰になるからね

芥 ええ

土方 信仰っていうのは、ちょっと、あれですよね。時間に溺れる……

芥 時間にエネルギーを与えることは可能かってことですよね。

竹永 最後に少し、山口さんと、締めくくりをしていただきましょう。そろそろ。

芥 アフリカと東北の接点と、違いあたりでやってもらおうか。

土方 僕はアフリカの、山口さんの、さっき、土人の足は、土人っていうか、非常に棒切れみたいに細いということですね。細くて長いということ、それから東北の百姓の背もね。だから、たとえば、あの、土人は非常にしなやかに柔軟に歩くというね、一つの歩行の習性があるでしょう。東北の百姓はね、■(■:解読不可能)すると、困るから、要するに何か目的のために走るとか、■(■:解読不可能)と困るから、一本の棒切れみたいにしてね、田んぼから、プツッとまっすぐ■(■:解読不可能)で、トコトコと帰るわけです。まっすぐに。まあ、私、そういう足の起源というかね、由来といいますか、一つの足でも、足の中にすでに距離をまたいだものが従前にあってさ、それをあえてさ、ステップ踏んでね、遠くへ行くとか、近くへ行くとかいうふうなことをですね、周りから寄ってたかってしゃべる必要がないと、一個の肉体の中でね。■(■:解読不可能)東北でもアフリカでも寝。

芥 未曾有の運動ですね。

土方 そういうものがね、内部とか外部とかじゃないですよ。どこかへ行きたいという気持ちがあるね、と、しますね、それを呼んだというものは、どこにあるのか、それはやっぱり一個の肉体の中に。私はね、私は肉体と言います。そういう意味では、私はアフリカも東北も同じだと。

芥 はい。

土方 私は、まあ、■(■:解読不可能)アフリカ出てきたから、だけど、私はジプシーでも何でもね、同じだと思うんです。ジプシーでも何でもね。一歩間違うと後に短刀がズカッと刺さるような、せっぱつまったようなところにね。形というものは成し遂げられると、ドロボーでも犯罪でも、そうすると言語というものは■(■:解読不可能)体験の中で、私がどうしてジプシーに関心を持ったか、ということですね。オフロに行くとき、男と男が、男と女でもいいですよ、すれ違うときに“ドサヤァーッ”って言うんですよ。東北では、“ドサヤァーッ”って言うんですよ。

竹永 “ドサヤァーッ”?

土方 相手は、どこさっていうのがね、こちらは湯さ行くさ、そんなことしゃべっているねえ、口がしばれるのですよ。“ドサヤァーッ”ってこう言っちゃうわけですよ。それから、まあ、今日は芥さんの家に来たけれどもね、人の家を訪ねるとき、深沢七郎は表の玄関のところで、ブッとオナラをして、で、家の主は“オーッ”と。あれは甲州の百姓です。あの人のオバアサンの話して、ちょっと信用できない■(■:解読不可能)あの人のオバアサンのオッパイっていうのはぶどうです。

芥 グレープ

土方 グレープです。とっても、あの人は百姓とは思えない、本質的にね。ところがね、私の方ではね、東北からやってくる人がね、“オーッ”って言ってはいってくるんですよね。家の中に。

芥 “オーッ”って言って入ってくる。家の中でね、“オーッ”と、オオ、オオ、■(■:解読不可能)風に吹かれて、そんなことは■(■:解読不可能)まして、ただね、風というものですがね、肉体が生まれたときと同時に肉体の中に飼育しているっていうことですよ、風を。だから……

芥 それを、あの風の吹きっさらしの肉体っていうふうに。

土方 吹きっさらしって言うよりね、

芥 風が通過する肉体……

土方 さっき、消えてなくなりたいと言ったね、私はどうせ生き草よ、何でもいい、偶然でも何でもいい、とにかく、こういう、その風をね■(■:解読不可能)に一緒に体の中に飼育して、風のほころびを修繕するように……

芥 ウン!

土方 肉体を運んできたんですよ。

芥 ええ、

土方 だから、ほどくと言いますね。

芥 ハイ。

土方 モヨリをほどく、装束をほどく、それはね、風を、風に間接をほどいてやるというようなことですよ。

芥 風の■(■:解読不可能)ですね。

土方 そうです。

芥 ハイ

土方 そういう人が挨拶代わりになっていると、そういうふうな応対があるというところで、ですよ、私は■(■:解読不可能)です。これ以上喋ると寺山さんの話になっちゃう。それで、まあ、そういうね、私はやっぱりあれだなあ、あまり幸福すぎてさ、あのちょっと踊りを踊れなくなるんじゃないかな。ちょっと待っています。私はいま、山口さんといろいろお話ししてこうなってきたけれども、また別の機会に、何か、あの、座を改めてもらうチャンスがあれば、ゆっくり聞きたいことがあったけれども、でも、今日は、やっぱり、あなたが入って、またおもしろくなったと思います。

竹永 山口さん、それじゃ。

山口 そうですね、あのう、いまずっといろいろお話し聞いて、やっぱり、私なんかアフリカに行って、その自分が頼りのない体を持っているなっていうのを感じるのは、よく太陽の下を何日も一緒に歩くわけですよね、そのときに、いかにもこう、鍛えていないという体をまざまざと感じるのは、歩くという行為が全然彼らと“行為”ですね、私なんかと全然違うと。というのは、私など、やたらコントロールがきかないから水を飲んじゃうわけですね、それからすぐ疲れて、へたばる。休みたがる。それから、その呼吸がどうにもならないぐらいコントロールがきいていない呼吸をやっているんだと。まあ、日本で山登りとか何とかいろんなことをしている人のばあいはまたちょっと別な条件があるかも知れないと思うんですけれども。こう何日歩いても、全然かれは水を飲まないということを、ひどく驚くわけですよね。私なんか、こんなの、こういうのを自分で水持って、それから背負ってもらって、それをガブガブ・ガブガブ飲んで、もう歩くわけです。それと、水を飲まないということと、呼吸が、コントロールきかせていないということ。だから呼吸っていうのは、いかに人間の身振りやなんかで、大切なことかっていう、そういう機会を通じなかったら気が付かない位のところで、こちらで育っているわけでね。私が向こうに行って愉快になるということは、そういうことを、一つ一つの自覚的にこう発見していくということにも関係があるわけですけれども、そういうこと発見していってみて……。

芥 体を発見していくということですね。

山口 自分ではアルトーを読んでいてね、アルトーの呼吸の中にすべての肉体の原理がかかっていえうんだなんてことを言われると、なるほど、それは、わかるんですよ。で、そういうふうな意味で、やっぱり、その東北での、その声も要するに肉体と同じ■(■:解読不可能)口としてね、結局、コントロールしているって状態では、あのう、また私が一緒に歩くときに感じるようなものと非常に近いと。で、やっぱり、そういうものを一つ一つ舞台で、どうやって取り戻していくのかというのは、やっぱり課題という言葉はおかしいんですけれどもね、その目指しているところじゃないかなと。そういうものを、とにかく、その、メチャクチャ集めたものとして、私は見た舞台としてね、ただ一つ、絶対これは一つみたいなものを、私は舞台を見なくていいんじゃないかと思ったのは、あの、ピッコロ、テアトル、デン、ミラノのね、ミラノの劇場のやつで、コメディ……アルレッキーノの話なんです。

芥 アルレッキーノ

山口 ええ。二人の主人に仕えるアルレッキーノ……これは全くのドタバタで、サーカスの原理を全部■(■:解読不可能)していて、要するにトンボ返り、宙返り、すべて体がもう、間接いつはずしても、いつ飛ばしても、二つも三つも分けられるという、そういうふうなものとして、そこにあるわけですよね。そこで、演劇と舞踏との区別がもうすっかり解消してしまっているような舞台を見たときには、私はもうボーッとなっちゃって。同じ舞台を続けて三日見てしまったこともありますけれどもね、

芥 ふんふんふん。

土方 ■(■:解読不可能)触れてしまいましたね、この間の山崎さん……■(■:解読不可能)のね。

山口 それは、そのとき、あんまり、ガクガクしたものだから。

土方 あの流れから来ている。要するにね、パントマイムですね。ブクーだとかバローだとかですね、あの人たちの■(■:解読不可能)中に私もずいぶん関心があって読んだけれども、劇場なんかどうですか?

山口 私、昔バローが来たとき観て、そのとき、たいした関心はしなかったんです。その前に私、狂言が好きで、狂言で万蔵や何かが例の牛を追っていくところがありますよね、ああいうのを見ていると、こう少しも、ベロー自体が万蔵よりも先に行っているとは、■(■:解読不可能)その、大して驚かなかったけれども、ああいうものが出てきた。もとであるコメディアル・デラートを復活したところのドタバタの夾雑物が、やたらもう無意味な行為が、がっちり、ずっしり詰まって、要するに切り捨てた形じゃなくてですね、あるのを見たときに、ほんとにガクッときたということなんです。だから、それはアフリカ、何かでアフリカ人と一緒に歩いたり走ったりして感じる驚きと、ある意味では近いんじゃないかという気もするわけですね。

芥 たとえば、この丸いテーブルなんかも、それだと思うんですけれどもね。これは沈黙のままですけれども、これらは偶然のままで並んでいるんですよね。一つのスタイルですし、これを肉体であるということですけれどもね。

山口 ただ、誰が作ったかわからなくて、いつ、どういうふうな課程を経てきて、なぜここにあるのか、全然わからない……

芥 三日前、僕がこの上で踊っているわけですよ。

山口 私なんか、その、アフリカでテーブルなんか見ていると、彼らの誰が、どう作って、どうしたのか、全部わかっている。彼の世界では、彼らにとって■(■:解読不可能)だね、その、要するに、部分っていうのは全然ない中で、彼らは自分の動きを組織しているということがあると。そういうふうなことから、僕は、あなたが言うときに、例えば、街が蜂起しなくちゃならないというときに、やっぱりそういう状態にかえさなきゃならないという。

芥 一つの街々の蜂起の一例なわけです。例えば、これは、これであるわけですね。一種、だが、事物のコマデ・デアールズですか

山口 蜂起させなくちゃならないから……

土方 これじゃないだろう。

芥 いや、これ全部です。

土方 あれだろ、あれでいいんだろ?要するに、これかい?

芥 まあ、あれの方がいいですね。

土方 あれのほうがいいよ。正確だよ。

芥 あれですね。

土方 ただね……

芥 こうやって、“君”っていうわけです、自分を指して。君がいたとき、これらがひとつの劇場になってしまう。まあ、君って、これですけどね、“君”がいて、これらが劇場になる。動けないわけです、僕の場合は。

土方 あの、いや、同じことさ、あの、私いま山口さんの話よくわかったよ。要するに、誰が作ったかってことを言ったんだよ。もう、作ることがはっきりしているね、はっきりわかっていてね、そういうものがつながっているんだというね、風なことが、あなたが、一体私は誰でしょう、という風な形でね、ザッと流れていく。ある一つの接点があるんではないかという風なことをね、言っているんではないでしょうか。例えば、舞台でって言ったでしょう、ところが山口さんの舞台っていうのは劇場、シアターでしょう?

山口 えっ?

土方 シアターじゃなくて……

山口 まあ、そのう……

土方 課程のテーブルですか?

山口 ある特定の空間、要するに■(■:解読不可能)の上に成り立っている空間でしょうね。

芥 例えば、現地の人がテーブルがあるかないか、わかりませんけれども、とにかく会食ですね、食卓を持ったとき、もうそれは壊しえない劇場じゃないかと僕は思いますけれども。

土方 こういうのはどうだい?“舞台はないものと思うべし”という風にさ、自分の腹の中に𡍄えたらさ、ね。

芥 思うべしと思っても、こうやるとぶっ倒れるわけですよ。音が出ちゃうわけです。

土方 いやいや、私の言うこと、よく聞いてごらんなさいよ、ね、ぶっ倒れるだけじゃ、しょうがないよ。

芥 いや、音がしちゃう。

土方 音だけじゃ、しょうがないよ。

芥 やっぱり、あるわけですよ。それを消さなきゃならないわけですよ。

土方 ちょっと待って、まだないじゃないの■(■:解読不可能)“舞台はないものと思うべし”ということは、劇場だって、ここであったって、私は場所と環境で、そういうものを想像しちゃいけないと思うんだけれどもね。

芥 僕もそう思います。

土方 いや、そうだけれどもさ、私が舞台に実際に立ってね、ここが舞台だ、閉じられた空間だと言ってね、そんなに計算してやっているわけじゃないですよ。私は、よく表へ走りますねえ。子供を、赤ちゃんを抱いて、どうしても自分が子供の次元まで遡れなくて、名子役を演じられないわけですよ。窮屈な場所だと思う。思うけれどもさ、それとね、山口さんが言ったさ、誰かが作って、伝承されていくでもいいよ、伝えがあってさ、そういうものが、何か窮屈な感じしなくったっていいんだよ。

芥 僕は、そういうものは見えないわけです。形っきり見えないわけですからね。例えば、土人が、まあ、夕方暗闇になったころ、アンモナイト形式の部落があったろうとしますね、どこかの会食を持ってる、架空のテーブルを持つわけです。けれども、ドブロクみたいなものを飲んで、まあ営みが行われてしまう、それに、果たしてステージ演劇なんかが勝てるはずはなかろうっていうことを僕は言いたかったわけです。

土方 それは最近、あなたたち一派が盛んに提唱しているやつだな。

芥 一派っていうのは、何か、若干偏見があるような。

土方 虚構は現実に勝てないっていう、この間、飛行機の話か。

芥 あんなのは、高々、一つの私生児のトランクで誰も開けられないわけですからね。なんなものじゃないわけで、あれが開けたらテーブルになると思うんですよ。あのジェラルミンのジェット機というトランクが……

土方 それは結局、私は、古風な理論だと思うよ。

芥 僕はオーソドックスで古風ですから。

土方 まあ、オーソドックスの方がいい。

芥 ええ。そうすると……

土方 僕はまだ現実主義、例えば、私がさ、いろんな芸術に絶望しても、一人の、この、夜逃げするかも知れない。

芥 人間なんて、芸術なんて持てないんじゃないかと思うんですよ。こうやって街々を見ていると、もう、演劇をやっちゃっているわけです。舞踏もしてます。

土方 なるほどね。オレがね、芸術家を尊敬しろと言ったら、なじるかい?オレを。

芥 えっ?

土方 オレを撲る?

芥 いや、僕はあのう……

土方 オレ、大、「大」が付くんだよ、大マンネリズムとかね、■(■:解読不可能)ただね、芸術家っていうのはさあ、

芥 芸術家を尊敬しろって言うんだったら、僕はユリシーズの方を尊敬します。あいつは、いないから。

土方 芸術家なんて、所と場所、選ばないんだからさあ、

芥 芸術家尊敬しろって言ったら、僕はビールビン尊敬します。

土方 いないんだよ、芸術家っていうのはね。

芥 僕、会ったことないです。芸術家に。こうやって、見てますけどね、いないです。やっぱりどこにも、いないです。だから、僕は眼球がないんだと思ったわけです。どこへ逃げちまったのか、

土方 じゃあ、最後のとどめだなあ、土方巽“芸術家”を、あのう、“尊敬すべきだ”と“叫んだ”という風に印刷してくれる?印刷だろう、どうせ。

芥 いいですよ。ゴチックでやりましょう。そうしたら、芥が“どこにもいない”って言ったっていうのを、いいですか?

土方 いや、そのちょっと、後先、やっぱり、相撲の番付があるんだよ、あんた。

芥 じゃ、やっぱり、カッコして、小さい字で!

土方 いや、いいですよ、それは、僕がただ、そう言っただけでね。やっぱり……

芥 芸術家って?家(ルビ:イエ)ですからね。人間じゃないですわね。家(ルビ:イエ)、家(ルビ:イエ)ならひとつの空間になりますわ。すると、日本という大家族制が、ありますね、近親相姦の末に、ふくれちまった、この大家族制ですけれども。すると、もう、空間も時間も何もない、ただ、血が、血みどろですよね。すると、ジェラルミンのトランクの中に入って、当然。これも一種の舞踏だと思ういますけれども。その家(ルビ:イエ)と芸術家の「家」(ルビ:カ)っていうのは、どう結びつくかっていうのは、ちょっと……

土方 舞踏師っていったら、理髪師だと思うな。

芥 道化師の「師」ですねえ。

土方 舞踏師だったですよ。それから「手」になってさ、それから「家」

芥 「手」になって

土方 そんなことはさ、しかし、一々あんた、とがめてさ……

芥 これは文化人類学の■(■:解読不可能)……■(■:解読不可能)じゃ、その辺、山口さんにお願いしましょう。

山口 私の感じで言えば、師でも家でもいいんでね。ある特定の人をね、舞踏芸術家というようなものとして呼ばなくちゃならない社会は不幸だという……

芥 ですからね、芸術家の「家」(ルビ:イエ)を、「家」(ルビ:イエ)よりも大きい芸術家の家という家(ルビ:イエ)を持った何者かがあったら、僕も尊敬しましょう。そいつを殺しにでかけますよ。一騎打ちに。

土方 そういう言い方、行動だな。

芥 っていうか……

土方 何一つしゃべっても行動と場所でズタズタにしちゃうわけか?

芥 えっ?

土方 オレが言っているんだから許せばいいじゃないか。オレは別に国家などとか、家だとか別に、そんなこと……しゃべっちゃいけないんだなあ。

芥 いいえ、そうじゃない。

土方 オレだから許せよ、ね!

芥 そのイントネーションがいいな。

土方 いや、オレだから。だってね、昔、新宿で飲んだとき、五十円しかないと言ってたからね、焼酎二人で飲むとね。でもつかまるじゃない、■(■:解読不可能)いつまでも酒屋に行かないからね。どうにかなると、ね。袋叩きになるわさ。それは潔くやらなきゃ、ね。だから、家だとかさ、磁場だとか所だとか。市役所の「所」でしょ、磁場の「場」でしょう。バとかバが来たら、ババアの……

芥 そうなると原稿書きになっちゃいますから……

土方 どうでもいいんだよ。

芥 どうでもいいわけです、ええ。

土方 そんなこと、一体、いちゃもんつけたら際限ないですよ。オレ、こないよ、こんなところへ。そんなこと言うなら、そうじゃないですか

芥 いや、そういう意味合いで言ったんじゃないですけど。

土方 だからさ、そんなことは、いいんですよ。国家もへちまもないさ。そんあことは誰も真剣に本気で感じてないんだよう。だって、うちの、あんたの隣のあれだよ、■(■:解読不可能)なんかさ、昔は“暮らしの手帖”だけど、今は“美術手帳”だよ。

竹永 ハハハハ──

土方 いや、ほんとうですよ。数字は上がっているんだから。

芥 そうですか、

土方 ね、だから、そこら辺はやっぱりさ、あの絶えず警戒網をはっていないとさ、僕はもう、人を憎んだことないからね、ベラベラしゃべるけれどもさ、

竹永 それでは、これで……

芥 もう少し、いいんじゃない?

土方 まあ、しかし、あれだ、あの、今日は、あれだな、天井桟敷にしてやられたという感じです。今日は、素晴らしく、いい夜だったと思います。

竹永 いいえ、一時間も迷路を……

土方 あんた、ちょっと、どかちかしてるな

竹永 あっははは

土方 僕はね……

竹永 だって……

土方 私おね、私のところに来てごらんなさいよ、ほんとうですよ、道に迷うんかないだろうか、ああだろうかって言ってね、表におっ立っているけれど、今日はね、まあ、あんた、ほんと、どかちかだ。あんたね、どっかに行っちゃうんじゃないかと思ってね。寺山さんに一言、言っておいてよ。

竹永 ハイ(笑)、どかちかにするなと。

土方 どかちか、だめだよ。

芥 どうも不手際して申し訳ありません。

土方 いや、いいです。あなたは、最初から、ここで待っていたの?

芥 そうです。

竹永 いや、しかし、芥さんから連絡が入らないんだもの。

芥 だって、君が、六時半に大丈夫だって……、まあ、そういう話はともかく、最後に山口さん、一言お願いします。

竹永 今日の初対面の……

芥 いや、アフリカと、どの程度のあれが、アフリカと、この1DKを比較して、こう、目黒の街も見えますし、

山口 まあ、先程、その舞台なんていうのは、どういう風に考えるのか、と言う風なことを、こう、おっしゃったわけですね。私、何か、この自然な感じがアフリカにいたときの、ナイジェリアのある部落で、ちょっと感じたことを……例えば、この部落は出来が常に、何でも二つに分けちゃうんです。東を向いて街が二つに分かれているわけです。東を向いてですね。

芥 ほう、東の方と西の、

山口 東を向いて街が、道路が一本貫通しているわけですけれどもね。

芥 はあ、はあ、

山口 それは今度は、“十字”になっているわけです。北と南……で、東を向いて右手の方にあたる、この街の「男の部分」といって、左手にあたる部分を「女の部分」といって、

芥 ちょっと図に画いた方がいいな、

山口 王様の宮殿は男の部分にあり、

芥 男の部分は、ここになるわけですか?

山口 ええ、だから、こういう風になるわけですね。

現存する原稿は以上である。(橋爪大三郎)

複数箇所、原稿がなく、鼎談の内容が飛んでいるところあり。(編注:原稿無し)表記
空白・解読不可能部分は■(■:解読不可能)表記
****記号に関しては、****(編注:ママ)表記

原稿欄外に「加筆、削除」記載あり
途中参加している竹永氏に発言に対して削除指示の書き込みがありますが、
削除してしまうと鼎談の内容が一層解らなくなってしまう可能性があるので、削除はしておりません。

鼎談テキストがまとめられたファイルの表紙には以下のようものが(手書き)記載されています。

(舞踏、人類学、演劇)
土方巽+山口昌夫+芥正彦

1970年3月ごろ
注・地下演劇誌No4に予定していたシンポジウムでしたが、土方先生の都合で反古になりました。原因は芥正彦の非礼な言動によると思われます。

資料責任
橋爪大三郎(社会学)当時 劇団駒場
小林康夫(仏文学)当時 地下演劇編集員


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