(新宿プレイマップ 1971年8月号)
(記)対談終了後A氏から「今日のは芥君の独演会なのだから、そのようにまとめて欲しい」と強く主張されたのですが、氏の名のみを匿名とし、対談形式はそのままとすることにいたしました。
(編集部)
A あらゆるものを自分の中で同化してしまい、いろんなものを増繁させながら、絶えず変質していったり、拡がっていったりして固定していない。今ままでだったら一つの自分の型を作ってしまったらそれを円熟させ様式美を完成させるという形でしかものごとを見たり、あるいは出したりしなかった。ビートルズのおもしろい所っていうのはそれと全く逆であるという所にあるんで、つまり現代音楽であるとか、マドリガルであるとか、ポピュラー音楽であるとかいうものを別隔てなく全部自分の中に同化してしまう。その一種のハツラツさというものが今までなかったエネルギッシュな音楽家の生き方というか若い世代の生き方というか、そこのところに僕は一番興味を持ちますね。例えば今までだとマドリガルなんてのもイギリスの群集が寄り集って歌う非常にリリカルなものだったが、彼らの場合はマドリガルの非常にリリカルな歌い手の本質のようなものを取り入れながら、それと全く別の方へ持っていった。
芥 その変質の過程を僕なんかは肉の舞踏って言うんです。(太字:その変質の過程を僕なんかは肉の舞踏って言うんです。)普通は時間を人に与えることによって人はその肉を泥に変えちゃうわけなんだけど、しかし、泥をカルチェラタンへ運び込むことによってその泥が肉に加工していき、その肉自体が動き出す。この過程が肉の舞踏なんだ。しかしさらにその肉の舞踏を音に変えちまったやつってのがいるんだよ、ビートルズの背後に。最近でいえばコルトレーンなんだけど。ビートルズはそこまでいってはいない。要するにビートルズってのはある意味でリズムの舞踏者なわけよ。例えばリバッティなんかだと一匹しか居ないゴキブリって言えるわけよね。だけどビートルズの場合は一応常に人間がやるわけよ。だからその周辺にロックならロックの輸ができ、それでついでにフリーセックスや酒と追憶がファーッとくるわけですよ。ああいう酒と追憶を持ってくるあたりブドウの木なんだよね。ある意味でビートルズが持っているものはかなり一つのヨーロッパの歴史じゃないかと思うんだ。例えば少年十字軍だとか、イルツラバツーレとか、カウトウリカルミナとかありますでしょ。街路で即興劇やってて結婚式やったりみたいなやつね、あれなんだな。だけどビートルズがいいのは徹底したアンチ現代だからなのね。しかも徹底した現代の器物を使ってやっている点。カルチェラタンなんだな。だから人々がやっぱり周辺に集ってくるわけ。そこにいつでも劇場が誕生する。しかしだからといって、彼らはその集ってきた人々までも引き連れては移動してないと思うんですよそれをしてないということはやっぱりビートルズは地球に負けてるんだな。でもとにかくビートルズの良さは20世紀じゃないって良さね。ということは19世紀の延長じゃないって良さよ、(太字:ビートルズの良さは20世紀じゃないって良さね。ということは19世紀の延長じゃないって良さよ、)これが非常に強いじゃない。
A そうでしょうね。
芥 それは人の動きがそこにあるってとですよ。人には19世紀とか20世紀とかいう区別はありませんでしょ。つまり実物大の遊戯、172cmの男がそのままやっているという良さ。それに較ベリバッティなんかはそうではありませんでしょ。ある意味ではもうフォークが鍵盤の上を移動するみたいな形でやりますでしょ。ビートルズはそうじゃない、やっぱり指から鳴ってくるって感じなんだな。自分の指や足をなくしてしまった人間が追憶にまかれていってしまうというのがもともと人だからさ、だからもし浜辺にひたひたと打ち寄せるものがあったらやっぱりそれが人なんだな俺達には、それが音楽だとか、フリーダムだとか何とかだとか普通は言っているんだけど。だからもしランボーのレクイエムがあるとしたらビートルズなんだ。(太字:ランボーのレクイエムがあるとしたらビートルズなんだ。)一方ロートレアモンを追いかけていって「お前聴け、たいへんだったろう」っていっていくのがリバッティじゃないかと思うんだな。だからビートルズってのはすごくアンチ現代音楽だと僕は思うんだ。だって、やっているやつが人だっていう安心できるものがあるじゃない。ビートルズはなんでもないんだ。やっぱり人と呼ぼうという気にさせるからニクイね。けれど問題は、マゼランならマゼランが太平洋を渡っててその時間こえてきたものってのはあれじゃないだろうって気がするんだな、例えばコルトレーン の「マイ・フェイヴァリット・シングス」みたいなものが海の向こうからやってきたかもしれないという予感があると思うんだな。それに較ベビートルズはサイレーンの快感、「これが我々の空気だ」と言えるだけの権力は持っていないと思うんだ。
A さっきあなたはビートルズはヨーロッパだって言われたけど僕は全然逆に考えてるんだけど……
芥 ビートルズがヨーロッパってのはヨーロッパの古い石畳を振動させる空気ってことで言ったんですけどね。(太字:ビートルズがヨーロッパってのはヨーロッパの古い石畳を振動させる空気ってことで言ったんですけどね。)
A ヨーロッパってのをあなたがどういう風に考えてるか解からないんですよ。
芥 私でないもの、全部ヨーロッパですよ。だって革命の理論、資本の論理、全部ヨーロッパでしょ。僕は場所を言ってるんですけど全部そうでしょ、ヨーロッパでないものはないんだな。でもまだ日本には天皇って肉が残ってるけどね。だからこれに火を付けなければ日本に革命は起んないんだ。日本て国は日本人が一人しかいないって国なんだな。Aさんの言う何をヨーロッパかってのはよく解んないんだけど、信仰の美徳も全部聖書に載ってるし、毎朝新聞を広げて載っていることいったらたいがい聖書か何かに書いてあるもの。時々、古事記に書いてあることも載ってるけどね、大根の値段が高いだとか税金がどうだとか。でもそんなことは山上憶良が言ってるんだよ。そういうことを言ってるたぐいのやつはたまたまヨーロッパにビートルズってのが出てきたなんて言うわけよ。そういうことを言いにくるやつがいいとかそういうことじゃないもの。だから日本でやってるビートルズってのは全然ビートルズじゃないと思うんだよ。本当は街路の音楽なんだよ。石畳を撫でてくる空気なんだよ。僕の場合は政治でも歴史でもなく、この肌が受けたものとしてしか名前がつけられないんです。
A それは誰でもそうでしょうけど、今までの日本の文化にしろ、あらゆるところの文化にしろヨーロッパ中心みたいな考え方があって、あらゆるものがヨーロッパからできてる。
芥 あらゆるものってものじゃないんでしょうけどね。その証拠にヨーロッパが力を携えて地球を決定したことはやっぱりないと思うんですよ。例えばマルキシズムにしても中国にくると毛沢東という民族学に変えられてるし。そうじゃないですか実際は。だけどビートルズはどこへ行ってもビートルズだからいいだろうというわけ。それは一応肉の饗養がそうさせているんだって思うんだけど、その肉が饗養を失なった時、その時は今度どうなるんだろうと思うんだけど、そうなった時人間は酒を飲んだり、うまいものを食べたり、追憶にひたったりするんだ。ビートルズはそんなことはやんなくたっていい、それを音でやってるからと言うだろうけど。だからやっばりケルトじゃないかと僕は思うんだな。ヨーロッパは一時期全域がビートルズに酔ったからね。だってヨーロッパはケルトから一切別れてくるんでしょ、ゲルマンだとかノルマンだとか。だからビートルズという名前の郷愁、その郷愁に対して僕はケルトと名前を付けたんです。ということは例えばジョイスとかランボーを見ていると辻褄が合うわけ。セリイヌにしてもね。セリイヌの書き出しは「言い出しっぺは俺じゃない」っていうことから始まるんだけど、その一行のために世界中を駆け巡ってるわけよ。ドイツに行けばフランスを持ち上げて、フランスへ帰ってくればドイツを持ち上げて、そうなるとやっぱりケルトなんだな。例えば日本でいうと大和言葉なんだな。ヨーロッパの最右翼がビートルズなんだろうて言うんだけど。だからそういう論理でいくと五木寛之なんかは日本武尊の子孫なんだな。相変らず彷徨ってるわけだから。ある意味では正統派だね。そこで一応そういうものに肌を撫でられずに動けないものかと考えるんだ僕は。ビートルズが急に叫び出した時ってのは叫び出しっペは俺じゃないってのが何かしらあったわけだよ。黒の皮ジャンかなんかを着てドイツで急にやり出した時にやり出しっペは俺じゃないってところがあって僕はそこが好きだったんだ。その証拠にああなるしね。例えばつぶれてもああなっちゃうともうつぶれようがないんだな。そうすると人間が生きてきたという証拠品が連なってるから、いずれこれを屠殺するものを持ってこないとやっぱり負けるんだな。惑星に負けちゃうんだよな。例えば科学ってのを武器にして世界一周をしてた時代があって急に土人が毒矢を放ってきたわけよ、四人の土人が。それでみんな腕を殺られたり、足を殺られたり、大脳を殺られたりしたわけよね。だから俺はフロイドよりはカッコイイと思うな。生き様の形態があるから。フロイドは腹切りもんだよね。軍隊の前へ出ていったりしてね。それに比べれば三島の方がいいね、言語があるから。それに三島には宗教のない良さがある。三島なんかはビートルズをもう戦後の一部にしちゃってるでしょ。だってある意味で日本でビートルズは誰かっていったら一応三島だもの。(太字:日本でビートルズは誰かっていったら一応三島だもの。)帰っていく牧場がないんだから戦後だってんで三島にバァーと一まとめにされちゃうわけよ。でもポールなんかは田舎へ帰っていけるけども。例えばプレイマップなんて雑誌を見たら三島は戦後ってことで片付けちゃうよ。そんなものは自衛隊の靴で破けるって言うよ。ところが実際は破けないからああなっちゃうわけだけど。三島が戦後と決めつけるのは、三島には俺は俺の肉を破いても俺は行くぞって自信があるからなんだ。だから三島と対決するには三島の肉の背後で踊っているものはないと言いきっちゃわないとダメ。あの背後に踊っているものがあるっていうとこれは殺られるよ。だから幻想の物量で較べると安保と同じ位じゃないかと思うんだ。ビートルズが舞踏した動きはそのままコルトレーンの音自体のことかもしれない。でもやっばりビートルズがやってない仕事ってのはある。ビートルズってのははみ出て来て言語の網からくぐり抜けてしまった人間達でしょ。だから網を破いていないってことがまだあるんだ。でも破いてから出ようとすると大変なんだよ。ニグロが持ってきた文明を俺達はジャズと呼んでるわけだけど、じゃビートルズが持ってきた文明を何と呼ぼうかと思うと名前がないんだな。やっぱり言語の網の目を破かずに出たんだよ、彼らは20世紀において企業から買い取られなかった人間よ。普通名声を博すと必ず買い取られちゃうわけだけれど。
A そうね、具体的に言って彼等のグループのそもそもの成り立ちが、他のジャズメン達一人一人の個性が寄り集って馴れ合いでやるというのと違って、初めにグループってのがあって、しかもなおかつ一人一人が個性的な存在であるということだから、当然その個性的な存在がどんどん発展していけばグループってのは失くなるわけですよ。
芥 構造主義の犠牲者だね。構造主義ってのは酒と追憶で破れてしまうだろうという気がするんだけど。構造主義っていってももっと小さいもんですけどね。
A でも構造主義っていうのはそういうことじゃなくて、一つの与えられた条件を検討することでしょ?
芥 でも例えば彼等のグループがグイッと勝手にしやがれと出てくるのは検討されてしまった結果でしょ。だっていっこうにうだつ(傍点:うだつ)が上らないわけだし。もう20何年間近く検討されたんだ。それでグイッと出るわけなんだ。進化論じゃないんだよ。だから好きなわけだし、犠牲者だって言うんだ。突然変異だからね。しかし、だいたい人類には突然異変ってのはない。だから倦怠だよ。倦怠を正統化しようとするとそれは変革になる。だって、科学は企業に買い取られていったけど、ビートルズは買い取られていかないからあれは科学じゃないんだ。じゃ権力かというと言語の網を破いていないから権力には成り得ない。(太字:だって、科学は企業に買い取られていったけど、ビートルズは買い取られていかないからあれは科学じゃないんだ。じゃ権力かというと言語の網を破いていないから権力には成り得ない。)純粋に権力だけを比べたらモナコの方がある。例えばジョセペ派の者が四人集ったんだけど、そこでモナコでもないジョセペでもない得体の知れないものができたわけなんだな。そこから革命もでるかもしれない。酋長がでるかもしれない。だけれども形式としてはペースを守っちゃってるんだな。ケルトが言語に膝まづいたのとは違って、ビートルズの持っているものは少年十字軍の後のヨーロッパ街路の動きと非常に似てる。例えば俺達の着ているレインコートまで自分の音楽になっちゃうわけだから。
A よく解らないですけど、ビートルズとか芥さんなんかを見てると、やっぱり戦前の若者達の発言、また戦後のしかも20年過ぎた若者の発言とも全く違いますね。
芥 それは僕はいずれ結着をつけるよ。
A そういう点ではビートルズは戦後の一つの変質した代表かもしれませんね。
芥 戦後って言っちゃうとまずいんだ。そう言うとまた三島が出てきちゃう。戦後じゃなくて原爆って言うべきなんだ。原爆後の人の恍惚の一形態だといわなければまずいんだ。ジャズは水爆後の恍惚の一形態だからね。例えば俺がプレイマップに書いたものはセシル・テイラーのピアノの鍵盤の動きで、それが街路でも起ってるんだというとをやったわけ。足下でも起ってるんじゃないかということをやっただけ。悪いけどお前のレコードを土足で行くぜっていうやつよ。しかし、そうするとコルトレーンあたりが肌を撫でにくるみたい、意外と、まずいんだなあ、だからそうなると、やっぱり音ってのは文明かもわからない。人が行くところにやっぱり必ずあるよ、沈黙も音楽だしね。音楽ってのは例えばビートルズでいくと沈黙の変貌の度合だよ、グレオリオから見れば。だからイクトス(沈黙)の分割、あるいは構成、あるいはその並び方。イクトスへの働きかけそれをリズムっていうわけでしょ。でも、あいかわらずビートルズは人間にしか働きかけてこないんだよ、だから俺は退屈なんだ。この俺の退屈を誰が処理してくれるのかって問題があるんだ。ヒューマニズムなんだよビートルズは、原爆以降誕生してきた人間が創ってきたものってのはみんなヒューマニズムでしょ。ヒューマニズムしか発明してないんだよな。(太字:ヒューマニズムなんだよビートルズは、原爆以降誕生してきた人間が創ってきたものってのはみんなヒューマニズムでしょ。ヒューマニズムしか発明してないんだよな。)そこへヒューマニズムでないものを人として持ち込んだのが三島なんだ。だから肉に関してはノーベル賞より権威がある。だけど僕が三島由紀夫に対する時はAさんみたいな人も含めてなんだ。だってこういう人たちは三島由紀夫がいなければ安心していられないし、有名人としていられないもの。Aさんが弱いのはそこにあるんだ。俺はそういう悲惨を憎悪するために生きてるわけだけど。あんたたちがいなければ俺は生きてないもの。こうしてボーイさんが食べ物を運んでくる。無名が移動してくるんだ。この無名が移動してくる良さがビートルズにもあるんだな、人に対してへの語りかけが。(太字:この無名が移動してくる良さがビートルズにもあるんだな、人に対してへの語りかけが。)
A ……
芥 生きるということはどこまで恥をかききれるかってことよ、恥の量だと思うよ。話は変るけど、ローリングストーンズなんてのは全然ビートルズじゃないんだな。でも僕はローリングストーンズなんかの方が恐い時がある。あの肉の強さってのがね。充たされたはずのないやつがサティスファクションて言ってくるわけで、あれは人じゃないんだ、言葉なんだな。こういうのは誰も否定できないでしょ、三島のあの一件が否定できないのと同じように。そんなことが俺は生きようというきっかけに時たまなるんだ。俺だってそうそう威張ってる時ばっかりじゃないんですよ。しかしビートルズがそういったものを全的に埋め合わせているかということになると全的に埋め合わせてはいないよ。もしビートルズが全的に埋め合わせてたら俺は何も言わない。だからまだ生きる場所があるってことを教えなきゃまずいよね。一応ホモルーデンスの倫理だからね、例えば昔学者は働かなかったんだ、それを俺達はスコラって言ったんだよね。ザ・スクールね。それはほとんど遊戯って意味だったんだけど。そうするとビートルズ程の学者はいないんだな。なぜなら現代文学まで色々なものすべて新約聖書から教わってるんだけど、ビートルズの四人は新約聖書のわけよ。(太字:ビートルズの四人は新約聖書のわけよ。)一人ずつ割り当てるとレノンがマタイ。ルカが少年十字軍の小太鼓、リンゴ。ポールがヨハネにって具合になる。
A ……
芥 ビートルズってのは現代と現代である非現代っていう街路がガァーッと走行してきて、フッとできる四つのブロックのわけ。そうするとどこのブロックに住んでいたかということで区分けされちゃうわけ。だからその真中に立っていなければダメ。その真中で笛吹けば四ツのブロックには関係ないでしょ、だから、ジャズって中で生きた何人かはそれを徹底的にやったわけよ。一応ビートルズってのはまだ広場なんだな、ロータリーじゃないんじゃないかと思うな。(太字:一応ビートルズってのはまだ広場なんだな、ロータリーじゃないんじゃないかと思うな。)
A ……
芥 あなたは音楽としてジャズとロックのちがいなんかを書いてるわけよ。僕は文明としてやってるからね。ロックは文化だからさ。例えば幼児って奴は気怠いイントネーションを持ってるでしょ、それがビートルズにもある。だから恐ろしいわけよ。幼児がそういう風にやってるのは地球だからいいんだけどさ。しかしこういう聞き方をした時ビートルズがどんなに真剣になるかってことが興味があるんだけど。例えば一つの惑星に二人のバッハはいない。一つの地球に二人のリバッティというゴキブリは棲息できない。文学で言えば一つの青春に二人のカフカはいない。もう一方のカフカはどうしてもヒットラーになっちゃう。また一つのアスファルトに二人のコルトレーンはいないということがあるんだ。何人かは散らばっていっちゃうし、何人かはハドソン川に浮かんじゃうし、残ったやつはゼロに引き込まれていっちゃうでしょ。みんなエターナリズムになっちゃうんだ、命と共にあるリズムってのがないと信用できないんだ僕はね、だから僕は花伝書も半分信用して半分信用していないわけ。なぜなら「命に果てあり、能に果てあるまじきなり」っていうからだよ。「能は命と共にあるまじきなり」って言ってくれないと信用できないからね。 ———俺がヨーロッパという時はキリストで、俺が日本という時は天皇なんだ。(太字:———俺がヨーロッパという時はキリストで、俺が日本という時は天皇なんだ。)だからもし俺がやろうとしている仕事に失敗した時は天皇を殺しに行かなければならないんだから大変なんだ。しかし、一応ビートルズはヨーロッパに失敗しなかったでしょ。だって彼らは自分のいる所がヨーロッパであるということをけっして忘れたりはしなかったからね。彼らは言葉を破壊しないでむしろ言葉をちゃかしてるわけ。だからキリストの弟子だって言うんだ。でも「言葉は私だ」って呼ばないと権力はやってこないんだ。(太字:だって彼らは自分のいる所がヨーロッパであるということをけっして忘れたりはしなかったからね。彼らは言葉を破壊しないでむしろ言葉をちゃかしてるわけ。だからキリストの弟子だって言うんだ。でも「言葉は私だ」って呼ばないと権力はやってこないんだ。)そこには時間はやってこないんだ。やっと酒と追憶という地球の生物群から解放される時なんだけどね。僕はそれが命と共にないかぎり信用できないんだ。だって下手すると宗教になっちゃうからね。でもある意味でビートルズってのは最初から最後まで無名だっていうやつね、それは人類という程の無名はないのだということを実証してるとも言えるね。人類に形を与えるのを有名と言うんで、そうなると全部が名付けられちゃうけど、でも人間でも普段は名付けられてないわけで、その名付けられてないということを実感する過程がビートルズだったり、コルトレーンだったり、ここにあるコップの輝きだったりするわけよ。だからある意味で俺は幼児が喋っているのとビートルズが区別のつかない所があるんだな。例えば「人が喋ってる時に口をはさむなよ、コノヤロー」てな具合にすぐに生理的に出てくるのがレノンで、そんなことを言った時に黙って遊んでいる幼児がポールになったりするってな形でね。
A ……
芥 ヨーロッパってのはやっぱりケルトだと思うよ。ジョイスもケルトだし、ランボーはヨーロッパじゃないし、ランボーという名の一つの世紀だからね、あの詩集一巻には一つの世紀が囲い込まれているという快感があるでしょ。それは作品に名前を書き込む快感より量がデカイわけよ。その量のデカイのを権力っていうんだけど。だからそのヨーロッパに対して日本に僕が住んで日本語を使ったということにおとしまえつけるには、三島が持って来た死の恍惚以上のものを僕が持ってきさえすればいいわけなんだよね。おとしまえっていうことでみると、モナコはイタリア語を使って歌わしてもらっているということに対して歌っている過程でおとしまえをつけてると思うんだな。ああいうものを一位に対して二位の思想と僕は言うんだけどね。一位ってのはカルチェ・ラタンの真中に立つことだからね。つまりモナコがマルタ、マルタって叫んだり、ビートルズが歌ったりするのはどうしようもないんだ。三千人が聴いてたら三千人が一瞬のうちに騙されるわけ。梱包されちゃうわけ。梱包されて涙なんか流してるでしょ。でもああなるともはや音楽じゃないんだよね。俺がビートルズを嫌いなのはビートルズが音楽を武器にするからなんだ。ポールは音楽を武器にしていないからちょっと別だ。ポールは沈黙の波に踊ってるだけだからね。車より楽器の方が弱いけれど楽器の方が権力を持ってるからね。でもだからある意味で事物に梱包されてるんだよ。その証拠に伊勢丹の前であの四人がやった跡がないもの。伊勢丹の前でビートルズが聞こえてくることがないんだもの。ということはやつらは事物に梱包された中でしか仕事をやってないんだよ。商業主義の枠から出るには事物を人と呼ばない限りできないんだよ。俺が伊勢丹の前で踊る時は、伊勢丹という人の前に俺の肌を晒すわけだからね。警官は最初のうち漫然と見てるわけだよ。そのうちに伊勢丹は人じゃないということに気付くわけなんだ。
ビートルズが商業主義になった時期はステージとレコードの両方をやってた時だよね。商業主義ってのはとりもなおさず20世紀という名前だからね、それに対してそういう意味での戦い方はしないと決めた。例えばアップルというのを作ったでしょ、でも結局負けてるんだよ、20世紀という名のリンゴの方がデカイからね(太字:20世紀という名のリンゴの方がデカイからね)何せそれは地球だからね。それで負けてやっぱりビートルズはトボトボ歩くんだよ、それが「アナザ・デイ」だよ。ポールがレインコートを着て歩くのを俺が日傘さして歩くのとある意味では似てるんだよな。「俺のレインコート奇麗だろう、肉まで創った、伊勢丹じゃ売ってないぜ」って真昼間からやるんだからね。でもビートルズは四人でやるんだけどコルトレーンは一人でやるからね。僕の場合は生きているっていう悲惨がいなければ動かないけれど。もしそれに失敗したら二親等殺害、つまりこの子を伊勢丹の前で殺して俺を捕まえにくるやつを全員俺が殺すということをするよ。
ビートルズという四つの街路が交差している地点、その地点の形体化はビートルズはやれない、そうなると何がやっていいのか。
ただビートルズが歌っている時は舞踏家じゃないが歌ってない時は舞踏家なんだよね。牧場に居たとしても。そういうのをホモルーデンスって僕は言うんだけど、そして20世紀はそのホモルーデンスが仕事をするんだと思うんだ。そしてそれにはいくつかの種類があってそれを総括する言語ってのを俺はいずれやりましょうと言うんだけど。
A ……
芥 もしビートルズが踊りながら歌ってるやつならアンプなんか使わないですよ、自分の体がアンプにできるからね。だいたい声が聞こえないからといって大声を出せば出す程、声は人にとって聞こえにくくなるんだよね。そういう時に空気が眩しくなるんだけど、空気自体の音楽化ってのもできるしね。三島がアンプを使わなかったのもそれでだよ。聞こえない程悲愴感が高まってきて彼自身にとっては都合がいいわけ。一応やきかかえとしてぶつかってくるんだから、そのやきかかえを自らの手で始末することによって火と名付けられた時間をパアーと永久のものにしちゃったわけ。しかし三島のあの日本刀と同じような楽器を手に持ったやつがそのうちでてくるだろうと思う。現にモナコなんかはやってるもの。この前モナコが上野の東京文化会館でやったものをNHKがFMで流し、それをテープにとったやつのコピーが俺の所にあって聴いたんだけど、全然変らないのね。肉がはみ出しちゃってるんだな。はみ出した肉が空気を振動させるんだよ、振動させるというより空気を移動させるんだな。俺が一人で伊勢丹と戦ってるようなことをやってるからね。
A それは訓練を経てるからでしょ。
芥 訓練の量からいったらハンスホッターの方が多いでしょ。しかし痩せ細ってるけど、でもあなたよりカッコイイんだからしようがないよ。
A 僕には関係ないですよ。
芥 関係ないって言って欲しくないんだよ。上野でやってるんだから。それもマイクを使ってないってことは俺達に肌をさらしたんだから。文化会館に来てないやつにまでもさ。
A 僕は肌をさらすなんてことは……
芥 僕っていうなら僕の力を見せてよ。
A 見せるような考え方をしていないもの。
芥 考え方なんか問題でないもの。だって考え方なんか問題でないってやりだしたのがビートルズだから。(太字:考え方なんか問題でないもの。だって考え方なんか問題でないってやりだしたのがビートルズだから。)だから僕は快く受け入れたんだ。できればあなたのことも快く受入れたいんだ。でもあなたがそうやっている以上まだ解雇の問題が残ってるから。しかしビートルズは一生失業しないよ。でもあなたにはまだ残ってるよ、今まで蓄積したものをすべて捨てなければならない時がくるという可能性が。もう悠長にジャケットを見てあれはいけない、これはいいなんて言っていられなくなっちゃうかもしれないし。そういうのを解雇が残ってるって言うんだ。だって三島はその解雇を恐れたんだもの、解雇されてしまうことを。それはほとんど生きていないということと同じだからね。
A どうしてそういう風に分類するの?(太字:どうしてそういう風に分類するの?)
芥 分類じゃない、これは階級だもの。人間には階級がないけど、物には階級があるからね。(太字:分類じゃない、これは階級だもの。人間には階級がないけど、物には階級があるからね。)
A 階級があるとしたらあなたはどうなの。
芥 階級を総括してるのが芥って名前だよ。これは人類という無名さが圧倒してるのだ。一応ビートルズの仕事は人類の枠組みの中でやってるんだ。それに対してあなたは音楽の学者として人類の枠組でやってるかという問題でしょ。役者っていうのは肉を携えたりする時は倫理をつきつけることしかできないんだ。恨むなら恨んでもいいんだけど。もう倫理をつきつけることしかできない、そうしないと泥にされちまうからね。泥にされちまったら就職しなくちゃなんないわけだよ、何ものかに。だって役者は立ってる所にしか就職できないんだ。役者は歩くところがステージだもの。例えば戦争が始ったら兵隊が歩いてるところがステージでしょ、それを日常の内に行なうのが役者なんだ。それをやらないと殺されるんだもの。今日はちょっと俺発情してるんだけど。やっぱり発情するというのは目の前に何らかの飢があるからなんだよね。やっぱり人間の両論というのは飢と発情だからね。だからあなたが学者だったら倫理をつきつけて欲しんだ。僕みたいな淫らな女に。
A 僕は学者じゃない。
芥 じゃゴキブリですね。ゴキブリだったらリバッティやグールドを尊敬しなきゃ。リバッティにはリバッティの人間の大きさがあるもの。あなたとビートルズなんてのは関係ないよ。御門違いだ。本当のところ俺の前でビートルズのことなんか言えた柄じゃないよ。あなたは何一つやってないもの。格好だけが、ビートルズの影響だよ。ここまで言われてまだ俺を刺さないわけだろ、ゴキブリだよ。俺は人と話したいんだ、ゴキブリとは話したくないんだ。おそらくビートルズもそうだよ、人と話したいんだ、だけど人がいないから歌うんだ。ゴキブリを人にさせるんだから。偉大な仕事には理屈をくっつけることはないんだ。俺はあなたのことを言ってるんだ、まだビートルズのことはちっとも触れてない。だってずっと俺はグールドの話をしてたんだ。あなたがビートルズの話をしないからよ。だいたい役者ってのは風だからね。ビートルズの話をしていただくのはあなたなんですよ。
A じゃ僕は今日はこれで失礼します……。
編注:対談後に自らの名前を削ることを主張したA氏は秋山邦晴氏である。秋山氏は既に1996年に逝去されており、これまで明らかにされてこなかった秋山氏自身の業績のひとつでもあることも考慮し、ここに初めてその名を発表することとした。(熊谷朋哉)