作品

生き方としての演劇

地下演劇 no.2、1970年2月1日(抜粋)
竹永茂生



私がこの誌面に課せられた義務は、『時代はサーカスの象に乗って』の徹底分析である。だが、いったい多次元の媒体の複合、相互作用から成る舞台が、徹底分析可能なものかどうか。それに徹底分析などというと、ついあの忌まわしい「受験参考書」を想い起こし、それでなくとも鈍る筆は、ますます私を憂鬱にする。今は亡き旺文社社長赤尾好夫と国家の毒牙は、今もこうして一人の青年の心の中に、その傷痕をとどめているのである。私には「時代はサーカスの象にのって」の徹底分析よりも、この国家犯罪の追求の方がはるかに急務のことのように思えるけれども、世をあげて人みなが政治になびく今日、あえて叛逆の徒とならんがため、政治の色目に打ち克ってこの一文を書こうとしているのである。

それはさておき、もし私がここで「時代はサーカスの象にのって」を徹底分析するとして、その舞台を戯曲・言葉・動き・俳優・照明・美術・音楽と、その構成媒体物に分解していって、それで果たして、あの私が経験した、五度も六度も背筋を駆けめぐっていった感動や「あの現実」が照らし出されるであろうか? 

一観客の私にとって重要なことは「あの現実」「あの世界」の解釈などではなくて、現にいま行われているものは何か、現に起こっているものは何か、を感じ、知覚し、「それで私がどうなのか」ということである。

確かに私は、あの舞台で、瞬間ではあったとしても、「あの現実」「あの世界」を丸ごと把握したと思っているし、各々の情景も明瞭に記憶している。どの俳優がどういうふうに動き、どのような衣装を着ていたかも鮮やかにそれを再現できる。しかし、だからといって、そのどれかが個別に私に、「あの現実」「あの世界」を捉まえさせたのではないし、また、逆にそのどれかでも欠けていたら私は「あの現実」「あの世界」の把握に失敗していたであろう。

私が「あの現実」「あの世界」を捕らえるとき、そこには舞台を構成する可能な限りの媒体物の複合・相互作用がはたらいているのであり、それと同時に、私の内なるさまざまな知覚感情の複合体がそれらと関連して作用しているのである。そうしてそれらの全体が喚起するものが、そのまま「あの現実」「あの世界」の把握となるのである。

このような説明では、とても徹底分析にはならないが、徹底分析というのは、徹底した客観性の上に成立するもので、本来演劇にはそのようなことは不可能である。客観という字を逆に入れ替えると、観客となるけれども、これは単なる言葉の遊びではなくて、演劇においては、観客はもっとも客観からは遠いところに位置するものである。

ひとむかし前の演劇には(何を考えているのか、今でもこの「解釈可能な世界」のミニチュアは興隆を極めているが)確固たる戯曲・台本があって、そこには解釈可能な理路整然としたストーリーがあって、登場人物には、抜き差しならない性格というものが賦与されていた。そしてそこには、その時間のなかに起る出来事全てに、広大無辺な宇宙のような大きな意味があって、そのどれもが明確な起結のために欠かせぬものとして位置づけられていた。そして当然それにみあうべきものとして、舞台と客席は、俳優と観客は、峻別され、そこでは距離に保障されて、俳優は安心して演じることができ、見られることができ、観客は安心して、笑ったり泣いたり手を叩いたりして見ることができた。確かにそれにはそれなりの楽しさがあり、人は無限に拡がりつづける世界に耐えきれないから、せめても、時が回収してくれた世界(その時代にあっても全く同じように、あらゆる形は人間の時間の回収、凍結作業である)の傍で安心する。そしてその権利はある。

しかし、現に存りつづける私が、何よりも欲し、何よりも知りたいのは、現に存りつづける私の場所であり、現に存りつづける私の身体であり、現に存りつづける私の過去であり、現に存りつづける私の位置であり、現に存りつづける私と他者との根本的な関係である。

人間の状況は自由によってしか存在しないし、自由は状況のなかにしか存在しない。そうして状況とはそういうことなしには存在しないもの。(傍点:そういうことなしには存在しないもの)ということになると、少なくとも、我々は演劇を自分の生き方(それは多くの人生論者が語る生き方としてではなく、ましてや処生術ではない。別にいうならな自分の存り方といってもよいであろう)として捉えねばならなくなるであろう。それは単に俳優と観客、演劇人と反演劇人(このような呼称で呼びうる人がいるかどうかは別として)だけに限られて問われる問題ではあるまい。

演劇を生き方として捉える場合、我々は誰も「やらない人間」から「やる人間」へと移って行かねばならないことを知るであろう。もし演劇を芸術的ジャンルの立場から語るなら、演劇は他のあらゆるジャンルに比べて「生き方」そのものを提示している。また、他のジャンルが「やる」ことを説きながらも、その説法の間に、それとはうらはらな「やらない」ことを強制するのに比べて、今日の演劇は、むしろ「やるさ(傍点:るさ)なかにおいてやる(傍点:やる)」ことをめざしている。それは「やれやれ=煽動」をめざしている。

今や現代人にとって、「やる」ことは「性」か「政治」かの画一化を辿っているが、今日の演劇は、そのどちらにも奉仕することなく、それらも含めて、多くのことを「やる」。


演劇、演劇と書いていると、どうも日本語の語感といい、字かっこうといい、国立劇場や日生劇場を想像するし、新劇などと書くと旧劇にもかかわらず、新劇嬉し愉しなどと堕落しきっている宇野重吉や、短足で、加えて蟹股な脚にタイツを穿いて頑張る赤毛ものが想像されて、私自身、なにか絵空事を書いているような気がしてくるから、ここで、これまでの文章を書くその根底にあった、私の参加した三つの劇について少し、その外観をたどりながら、「生き方としての演劇」を私自身確かめてゆくことにする。

このことは最初に断っておくべきことであったが、これから私のいう演劇は、全て「生き方としての演劇」を指しているのであって旧来の新劇のような「死に方をめざしている演劇」のことではない。

そして私は「生き方としての演劇」をなによりも次の三つの演劇から感じたし、彼らの生き方の激しさも知った。そして、何よりもまず、私自身が、彼らの激しい息づかいの何分の一にすぎないにしても、そしてこのことが本来最も演劇から遠いことであるにしても、とにかく「やる」ことを目指して私は書く。


「生き方としての演劇」
天井桟敷 『時代はサーカスの象に乗って』
キッド兄弟商会 『東京キッド』
劇団駒場 『産業革命の歌』




私が先に結論を出したように、これら三つの舞台に共通していえることは、これらが「生きかたとしての演劇」をめざしているということである。そしてそれぞれが前に書いたような旧来の戯曲を持たない、ということである。それはそのいずれもが、明確な起結をもった事件を舞台に必要としないからであり、そこには永久に繰りかえされる状況のパターンが実現されるからである。それはいずれもがストーリーも、性格も、プロットも存在しない次元で「状況内存在」の主題に取組んでいるからである。

私がこれらを「生き方としての演劇」といったのは、そのいずれもの舞台が、無限に拡散してゆく状況の中で、それの回収の操作ではなくて、その拡散過程のただ中で、いかにかれらが現実に意図しようとしているかをつぶさにしたからである。それに比べれば回収完了した、ステージの上の現実などは、時と歩みをともにする「長いき」と、命を少しずつ枯らしてゆく「安死術」とどう違うというのであろうか? 私が、ステージの上にのりがたくなった現実に背を向けて、いつも回収された現実だけを実現してみせる演劇を「死にかたとしての演劇」と呼んだのはそのためである。しかしその死にかたも、充足する生のなかに共存する死ではなくて、それらがめざす死は安楽死なのだ。正確にはそれらの演劇はこう呼ぶのが正しいのである。すなわち、「安楽死としての演劇」と。

それでは、いったい「生きかたとしての演劇」とは具体的にどのようなものかを、先の三つの舞台に照らしあわせながら考えてみよう。

まず最初に「言語」についてはじめよう。
これらにはすでに戯曲というものはなくて、あるのは台本である。「東京キッド」に於いては台本さえもない。このことは不条理の演劇が、それ以前の戯曲から、ストーリー、プロット、性格など除いていったのと、同様に画期的なことである。何故なら、このことは、「生き方としての演劇」を考えるとき、何よりもそれが意図していることを如実に表わしているからである。

だからといって、そこには何の言葉もないということではなくて、舞台で「やる人間」はことばの即興・偶然の組織化のなかで、拡散してゆく状況に彼らを意図してゆくのである。だがなんといっても演劇は、言語が言葉にもりこめないものの表現をすべきものだとしたら、なによりもまず、詩的言語を「言語が言葉にもりこめないもの」に近づけてゆくことが要求されてくる。

「時代は……」においては、それは詩人としての作者の言語感覚から、台本それ自体がある時には「言葉にもりこめない」ものまでを予感として孕んでいるから、舞台でのその構成媒体としての力は強い。また他の場面にはことばはナンセンスの盛りこみとなり、本来の言語機能とは全く別なものとして舞台で機能してくる。それはことばの濫費と価値切り下げの向こうに現われる、別の何かだ。それは詩的言語のイマージュが、それを超えて、状況そのものを詩的イマージュで染めてしまう。

『産業革命の歌』についてもそれはいえることで、ここでは、いちおう決められた台本の他に、めいめいが、全く勝手に、てんでばらばらにわめき、叫び、話り、饒舌は何の予定もなく中断されたり、続けられたりする。そのことばは間断ない質問であったりするのだが、それらは決して答えを要求しているのではない。ただただことばによることば同志の相殺がつづき、その向こうでことばを媒体にした、別の「ことば」が拡がってくる。ここでは言語は濫費と価値切り下げの限りをつくし、言語と肉体は互いを牽制しあい、制御しあい、統治しあい、ぶつかりあいしながらその陣地の攻防をめぐって、果てしない戦いをくりかえす。

東京キッドにおいては、言語価格の切り下げはそれほど行われず、ことさら音楽の中に投入されることによって、音楽にもりこめられた別のことばの拡がりがめだった。

次に『肉体』についてはじめよう。

とはいうものの、肉体について語るなら、とうぜん「暴力」が引き合いに出されてくるし、つまりそれら三つは、我たちが「激しく生きる」ために必要な三種の神器とでもいうべきものだ。ただ肉体だけを論じるにしても、それら三つの相互の力を省略した形での肉体なら、ほとんどここで紙面を費す必要はない。

ところが、これら「生き方をめざす演劇」においては、これらの使命は、苛酷で激烈である。

『時代は……』においてはまだまだ理性の介在する舞台があって、私たちは愛しながらそれに臨むことができる。
『東京キッド』において肉体は、はるかに『時代は……』よりも饒舌になってくるけれどもしれかしここには「ナイフ」を観客に突き刺す肉体、暴力が技術社会(ルビ:テクノストラクチャー)のなかでどれだけ危機意識にまで近づくかということを実証してみせたにすぎなかった。
『産業革命の歌』となって、はじめて肉体は暴力を内に秘めて忽然と姿を表わす。

延々五時間から六時間、喋り、踊り、叩きのめし、傷つき、蘇える芥正彦は、今のところ、あの政治的根拠地にも匹敵する、唯一無二の肉体的暴力的砦を持っている。

彼の舞台を目のあたりにしながら私はこんなことを考えていた。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という策略は、明らかに国家の青年に対する陰謀であるが、「暴力的精神は暴力的肉体に宿る」というのはあらゆる健全さと陰謀に対峙すベくわれわれの手に入れるべき力である、と。

それは単に政治の次元での話ではない。もはや、問題はイデオローいかんではないからだ。


3

今日、平和と自由への願望は、生の充足としてではなく、単に「長生き」と「安全」の問題でしかなくなった。われわれの社会には、生命力を麻痺させ、一切の個性、独創性を腐敗させる何かが蔓延している。人はそれに犯され、そのことを病とは気づかずに、むしろ「健康の保証」とさえ錯覚している。かくして病は、平和と自由という、あいまいで美名の保温器のうちで、その病菌を増殖しつづけている。

我々の大いなる二〇世紀は、片や核による究極的終末世界の約束と、片や不滅の無限の世界の約束とで成り立っている。しかしその両端の間に埋めつくされているものは「なしくずしにされた生という死」である。そこでは「生」のみでなく「死」までもが卑小なものになり下がっている。

このような社会の中で、いったいわれわれはいかにして蘇生すればいいのか。

再び、もはや問題はイデオロギーいかんではない。

「イデオロギーはたとえ自由主義的であっても、事態そのものは全体主義的なのだ」

だがこの病は、いったい「不治の病」なのか「治癒されうる病」なのかそのどちらであろうか? また、よしそれがどちらであるにしても、現にこの病が社会に蔓延しており、われわれの心のうちに巣喰っている以上、われわれのひとりひとりがその病に対して結着をつけねばならないのである。われわれの誰もが、少なからずみなその病人である以上、われわれはそれに敵対せねばなるまい。治ろうとしない病人など、もはやそれは病人でもなんでもないのである。

そして多分それより他にわれわれの道はなく、それへの行動と実践だけが、われわれ自身の病を治療する方法であろう。

われわれは誰もみな、案内係のいない、プログラムもなければパンフレットもない「この世という劇場」に入りこんできたものである。それがそのまま、われわれの心踊らせ、湧く湧くさせる劇場でもなんでもなく、うすめられた生と死の病院であってもいいはずはない。われわれは、本来、そのような日曜日の午下りの病院からは遠いものであり、クロロホルムの匂いにさえも麻痺した病人の群れなどではなかった。

今こそわれわれは、ひとりひとりがこのもの和らかなクリーム色の壁にとりかとまれた病院から駆け出さなければならない。たとえその結果、打ち敗れ、行き倒れようと、まず脱出して行かねばならない。それは「生きながら死んでゆく」か「死んでも生きよう」とするかの二者択一の己を賭けた賭けであるだろう。

さまざまなやり方で、個人的に、つつましく、ドン・キホーテ流のやり方で、芸術家が、革命家が、変革者が賭けているのも他ならぬこの賭けである。「われわれはいかにして蘇生するか」「われわれはいかにして生命を復権させるか」「われわれはいかにして、魂の沸点を揚めるか」

たとえ、ここに暴力が存在しても、それはやはり人間的創造、復権の奪還をめざして闘うものの暴力であり、そこをめざすことだけが「われわれの暴力」と「やつらの暴力」とを峻別する確かな境界線であることは間違いない。そしてその冒険的反響(ルビ:リゾナンス)に我が身を置くことは、「やつらの暴力」への直感と嗅感とをとぎすますであろう。

劇団駒場の「産業革命の歌」で芥正彦に殴られたK君、どのような恐怖を感じようとも「機動隊の後にでも隠れてて観たい」などとは言わないことだ。たとえ、それがたえられない屈辱であろうと、恐怖であろうと、それがそのまままぎれもなく、われわれの置かれている状況の実際であるから、われわれはやはりそれを避けて通りすぎるわけにはいかないではないか。君は殴られる時にも恐れずそれを直視しなくてはならないだろう。演劇に客観などないのだ。「生き方としての演劇」は、たとえその方法がどうであろうとそのことをめざしているのであり、そのことを教えているのだ。

われわれの一生が「一幕物の演劇」であるなら、自分の一生が最後まで観客でありつづけたとしたら、それは何と寂しいことであろう。われわれはいつも「やる俳優」でなければならないし、当然そうであるはずだ。

私は「生き方としての演劇」が即ち「暴力」といっているわけではない。そこには他にも詩的言語に支えられ、喚起された詩的イメージの複合性、そのイメージがあらわすヴィジョンの現実性と真実性がある。そこには科学が置きざりにしていったメタフィジカルな体験があり、われわれの内的欲求に応ずる祭儀の領域さえ表現されている。そして暴力までも内包して、詩的イメージは、究極的にはわれわれが生きている世界(=わたしが生きている)に入りこんで行こうとする努力を表現している。

「生き方としての演劇」には観客はない。それは劇場内だけでなく、むしろ劇場外をめざしている。「生き方としての演劇」が希求する究極の時代は、演劇ととりたてて呼ばれるものがなくなる時代だ。そここそが、人間のもっとも人間らしい時代に違いない。

だが、まだまだ演劇は必要であるし、要求される。何故ならそこでなら、われわれは拡散してゆく状況そのもののなかで、われわれ自身のシチュエーションの現実に直面することができるからである。それは大海の中で魚が自らをとりまく水を意識することによって、それがそのまま大海であることを識り、自分であることを知るのににている。

「生き方としての演劇」は単に芸術のジャンルとしての問題でもなく、演劇の新しい潮流でもない。われわれひとりずつの「生き方」であり、「存り方」である。われわれはみな「この世の一幕物」の俳優であり、主役である。

「演劇のない時代は不幸だが、演劇を必要とする時代は、もっと不幸である」
(太字:「演劇のない時代は不幸だが、演劇を必要とする時代は、もっと不幸である」)


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